2021年5月24日

屁みたいな報道

先日の「さざ波-笑笑」発言に続いて、高橋洋一嘉悦大学教授のtwitterでの発言が再び物議を醸すことに。欧米のロックダウンなどの強制的な感染対策に比べて、日本の非常事態宣言は「屁みたいなもの」という投稿を、例によって一部メディアが取り上げて「怪しからん」と批判の報道。詳細は、いつものように以下略ちゃんまとめ記事に詳しいのですが、正直なところメディアのいつものやり口にもウンザリする半面、高橋洋一教授にしてもそれなりに責任有る立場にいるんだから、もう少し自分の行動(発言)に責任というか慎重さを考えて欲しいのも事実。 

『「屁みたいな」もの』という言い方自体は、元々あった言い方と言うよりは「屁でもない」という、「屁以下のもの」という意味から転用されて使われてきた言葉だと思うんですが、元の意味が「屁ですら無い」と言っているのに「屁みたい=屁くらいの存在」という意味になるから、ちょっと使い方的には違うのかなぁと言うのが個人的印象。「屁」という言葉自体は、所謂「おなら」の意味何ですが、そこから転じて「値打ちの無いもの/つまらないもの」と言う意味にも使われます。でも、同じ「つまらないもの」の比喩に使う場合でも「屁でも無い=屁ですら無い」と全否定の意味と、「屁みたいなもの=屁くらいの値打ち」という同程度の価値という意味での肯定では、やはり受ける印象は違うのかなぁと。前者は完全に否定することを強調する表現だと思うけれど、後者も否定の意味は含むものの、一寸侮蔑というかからかうような意図を感じる言い方。先の「さざ波」発言で高橋氏は「さざ波-笑笑」と最後に「笑笑(※笑っちゃうぜ、変でしょう? みたいな意味の補強と言って良いかな)」と付けたけれど、それに近い印象を受けるのが今回の「屁みたいな」じゃないかと私は感じます。まぁ、そう言う意味で別の言い方、例えば、『戒厳令でもなく「要請みたいな」ものでないのかな。』と言うべきだったと思う。

一方でその発言を切り出すメディアは、お得意の「切り貼り」で語句を組み合わせて、高橋氏の以下の発言に対して

日本の緊急事態宣言といっても、欧米から見れば、戒厳令でもなく「屁みたいな」ものでないのかな。「屁みたいな」とは日本の行動制限の弱さとの意味。下図参照

という元々の文章から「緊急事態宣言「屁みたい」」と見出しを付けて誤誘導し、本文ではtweetの文章を引用しているけれど、「屁みたいは日本の行動制限の弱さ」という説明は省略しているから、やはり日本の緊急事態宣言が屁みたいなものと言っているように認識されます。実際は「日本の緊急事態宣言による行動制限は、欧米の戒厳令レベルのロックダウンから見れば、「屁でも無い」程度の制限」というのが、多分本来言いたいことの内容。まぁ、この程度の短い記事にそこまで意味や内容を考えて読む読書はほとんどいないだろうけど、だからこそ誰もが誤解することないように正確な情報を伝えるのもメディアの「義務」だと思うんですよね。意図的なのかたまたまなのかは不明だけれど、それでもこの記事もかなり誤解を招く書き方というか、誤解を招こうとしているのかと勘ぐりたくなるような書き方。それが、個人レベルで書き込むならまだしも、言葉のプロ、文章のプロ、情報伝達のプロであるメディアがやることは、それこそ「屁にもならない」事なのでは。

個人的には、twitterという文字制限もあるし、スレッドと言う概念を理解していないと全体が見えないようなデザインでは、如何様にも発言の切り取りは出来るし、延髄反射時無いけれど一部に反応することも多発する、冷静な討論や情報交換をするには向かないデザインだと思っています。それでも速報性とか、簡易性のメリットがあるから、これだけ世間で普及しているのだろうし、それなりに社会基盤として存在感を増していると思うのだけれど、それを利用する利用者側が余りに無防備なまま使っていることで、本来の価値を失っていると思いますね。勿論、それを都合よく利用するメディア側の責任が一番重いのだけれど、最近のこういう状況を見ていると、多分twitterとかネットツールが普及する前から、メディアの中ではこう言うことは普通に行われていて、彼らとしては「常識」になっているんだろうなと言う事。たまたま、それを伝える媒体が無かったから読者や視聴者は気がつかなかったけれど、今はネットが発達しているから、ことごとく彼らの活動の裏側も同時に目に入ってきます。それなのに彼らが自分達の行為の正統性を主張して改めないという事は、そう言う行為が昨日今日始まったものでは無くて、彼らの中にはDNAレベルで染みついている「お作法」だからじゃないかと思うわけです。だから、この問題は、高橋氏のいつもの軽率な書込という見方以上に、メディアの体質がさらにあらわになったと言う意味で重要なのかな、と。もしかしたら、このことが、メディアが「屁でもない」存在にまで凋落する、最初の放屁として歴史に残るのかも(マテ)。

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