2021年5月10日

失言する代表

枝野幸男立憲民主党が、インターネット番組の中で五輪開催は困難と発言したという記事。それ自体は、それぞれの考えなり立場があるだろうから、別に賛成でも反対でも良いけれど、その中で発言したという、

「世界からの変異株展示会みたいな状況になり」

という発言は、完全にアウトなのでは。言いたいことは分かるけれど、これは完全な差別発言であり、公党の代表が言うべき言葉では無いと思う。

仮に感染拡大を危惧するのであれば、

 「人数を絞っても選手や関係者6万人が外国から一斉に来る。現在とは桁違いの数の人が流入することで、予想外のパンデミック発生の可能性が高まり、結果として開きたくても開けないことになるのではないか」

とでも言えば、それは現状を認識した考えと言えると思うし、そこから「政府としては、どの様にしてその大量流入に対応するのか、その説明を求めたい(キリッ!)」とでも言えば、野党第一党の代表としての発言に相応しいと私は感じるんですが。「変異株の展示会」なんて言ってしまうのは、元々この問題に認識や興味が無いので、表面的な事しか考えていないから出てくる言葉じゃ無いかと思う。それがそのまま、今のこの政党の立場や行動にも表れているんじゃ無いだろうか。と言うか、自身で「検査して陰性なら旅行可能」とか言って、地方遊説とかに出かけていなかったっけ、この人。それが通用するなら、選手・関係者は入国前にPCR検査で陰性ならば、何も問題ないはずだし、「変異株の展示会」にはならないと思うのだが。実は、PCR検査万全とは思っていないから、こう言う発言がついでてしまうんじゃないのか。

 ネット上では、コロナ禍での五輪開催を本当に心配してでは無く、与党や政権を批判できる材料として単に「五輪反対を主張している」と論破されているけれど、本当反対意見を聞いても感情的なものばかりで、そこに某かの道理なり理由なりを感じる事はない。不思議なのは、幾つかのメディア関係者が反対論を自身のtwiter等で広く公開しているのに、その自分が所属するメディアが五輪オフィシャルパートナーであることに疑問を持たないのだろうか。というか、スポンサー企業が反対運動を報じているのだから、自分達の考えを記事の中でちゃんと示すべきでは。もし、有料記事部分で表明しているとしたら、それって自らの立場を隠蔽していることにならないか > A新聞

閑話休題。立憲民主党は、新型コロナウイルス対策で自分達の提言がどれだけ実現したか、星取り表みたいなものを作っています。その内容に関しては、まぁ評価出来るものだと思うし、実現・一部実現・未達とそれなりに客観的に評価していて、このことに関しては好感持てるんですが、未だに全国民のPCR検査とか、その効果も実現性も疑問視か無い事を主張し、「必ずしも"0"を意味しない」とか意味不明な「ゼロコロナ」とかいう主張を未だに続けている。その時点での抗体保有の状況しか判断出来ないPCR検査よりも、今はワクチン接種を加速させることが最大の予防方法であり、終息への近道なのに、自分達の間違った主張をいつまでも変えない。他国の訪問者を「変異株の展示会」と表するのであれば、自分達は「偏屈頭の展示会」と呼ばれても仕方ないだろうなぁ。

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