2021年3月24日

他山の石・自山の石

元法相で公職選挙法違反の罪に問われた衆議院議員の河井克行被告が、一転して責任を認めて議員辞職した件で、自民党の二階俊博幹事長が「党としても他山の石としてしっかり対応していかなくてはならない」と述べたことが物議に。自党のことなのに「他山の石」とは他人事だという批判はまだまぁ理解するとしても、この日テレNEWS24の記事に書かれている「他人の誤りを自らの助けにする」という説明は不十分じゃ無いだろうか。また、こらちのFNNプライムオンラインの記事でも同じ言い方をしていて、「他人事のように表現した」と批判している。

私が理解している「他山の石」の諺的意味は、「他人の山から出てきた石であっても、自分の持っている石(=宝石)を磨く役目には少なくとも役に立つ」という意味から、「他人のつまらない言動や誤り失敗でも、自分を磨く助けになる」という事。別の言い方をすれば「人の振り見て我が振り直せ」が近いだろうか。ただ、「人の振り見て...」が、相手の良い行いも悪い行いも、どちらも参考にして自分の行動を見直すという意味だけれど、「他山の石」は相手の悪い面、行動を見て、自分自身を見直すという意味で、相手を反面教師として自分を正しましょうという意味だから、そう言う意味でも今回の使い方は「議員として他山の石とする」という意味であれば間違っていない気がするんだけれど。

NEWS24でもFNNプライムオンラインでも、「他人の言動を自らの助けにする」という意味で「他山の石」を使用していて、それが怪しからんと言っている訳ですが、「助けにする=利益を得る」みたいな意味に解釈しているんだろうか。あるいは、wikiにも指摘されている「他人の良い行いは自分の手本となる」という誤用の意味で解釈しているんだろうか。何となくその中間の解釈をしているように感じますが、河井議員の行為を悪い見本として自分の行動を再確認してより良い議員として成長する糧にすることは悪いことじゃ無いと思うのだけれど。それにいつもは批判的な朝日新聞の記事が、その部分には触れておらず、買収の原資になったとされている党本部からの1億5千万円の資金提供を取り上げている当たり、この件に関しては朝日新聞の法が真っ当な気がする。

一方で頂けないのは野党の特に立憲民主党の批判で、批判自体は自民党所属議員の行為に対してだからするのは別に良いのだけれど、福山哲郎幹事長の

「自民党にとっては他山の石ではなく『自山の石』ではないか」

というのは、何か「俺、良いこと言っただろう(エヘン)」感があふれ出ている気がし引いてしまう。いゃ、議員個人の問題では無くて、自民党全体の問題であり反省が必要では無いか、と言うのであればそれは全くの正論だと思う。でも、そこに捻ったつもりで「自山の石」などと言う余計な一言を入れたが為に、全て壊しているよなぁ。 例えば強いて言うなら、

「自民党にとっては他山の石ではなく『灯台下暗し』ではないか」

とでも言うなら諺的にも、相手を指摘する意図的にも正しいと思うのだけれど。 「他山の石」の意味で「他人の山のつまらない石」を「自分の山のつまらない石」と置き換えると、「自分が持っているつまらない石(つまらない部分・問題となる部分)も、自分の持つ石(=宝、良い部分の、優れている部分)を磨く手段にする」と言う解釈になり、それって「自己反省し、自己研鑽する」という意味なると思うのだけれど、それって悪いことじゃ無いですよね。相手を批判しているつもりで、相手に塩を送るどころか実は相手を賞賛している事になるのでは。まぁ、それがいつもの野党なんだろうけど。

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