2021年3月12日

節目は無い

東日本大震災から10年目の昨日、各メディアは10年前の大地震や洪水被害を振り替えつつ、未だ進まない復興作業や現場、あるいは未来に向けて踏み出した人達の話など、それぞれの視点から「あの日」を伝えています。 特に今回は「10年目」という、数字的には大きな区切りの年なので、例年と比べて取り上げ方が大きいと思いつつ、でも言い方は失礼かもしれないけれど「この日のための特集」というイベント感は拭えず、逆に震災の記憶が風化していく印象も受けます。

たまたまネットで見かけた書込で、10年という節目を迎えた東北復興に関して、支援作業に熱心なサンドウィッチマンが答えたのは、「節目なんて無い。日々支援するだけ」みたいな回答をしたと知り、あぁ、この人達は強い信念の元色々な活動をしているんだと感心というかちょっと感動しました。そうなんですよね、直接震災に遭遇していない人にとっては、「3月11日」というのが震災を思い出すキーワードなんだろうけど、現地で実際に体験した人にとっては、2011年3月11日のあの瞬間から現在までずっと続いているわけですから。そう考えると、年に一度この時期になると繰り返される東日本大震災の話題にしても、本当に自然災害に対しての準備を言うのであれば、もっと何度も伝えるべきだし、復興を支援するのであれば、年間継続して伝えるべきであろうし。

と言うか、当時から現在までメディアの役割は大きかったはずなのに、未だに多くのメディアは復興支援や震災被害を煽るような伝え方をしている。震災直後は、色々情報も錯綜していただろうし、日本中が混乱していたから仕方の無い部分もあったと思うけれど、それが落ち着いた時期になっても続いている。特に福島第一原発関連に関しては、未だに処理水のことを「汚染水」と呼ぶメディアもあり、いつも感じるのは彼らは何か特定のイデオロギーの元情報発信しているんじゃ無いかという疑惑。さらには、「未だ残る風評被害」と言うけれど、それが問題だと感じているのならば「風評を払拭する記事」を書けば良いだけの話しなのに、恰も自分達が地元の代弁をしているように煽るような記事を未だに掲載している。中には、当時の記事が誤報であることが調査の結果認められて、メディアが謝罪したにも関わらず、その記事を書いた当事者は「あれは正しい」と未だに言っているし、東日本大震災の中でも特に福島県に関わる被害原因は、直接的には地震や津波であったけれど、それ以上に大きな間接的原因が「メディアの風評被害」だったと思う。

当時の首相だった菅直人氏は、未だに自分の行動は正しかったと強弁するし、当時の民主党政権の幹部の反省も無い。いゃ、反省しなくても良いから、ちゃんと一度振り返りをして、是非をしっかり明確にすることが、次の世代への責任じゃ無いのか。所謂「議事録」に相当する物をちゃんと残して伝えるべきなのに、そんなものが無いばかりか今新たに作り替えようとしている空気すら感じる。だからこそ、原発問題で孤軍奮闘している、細野豪志氏の活動には期待をしているし応援もしたいですよね。自分も福島の美味しいお酒と美味しい肴を、これからも楽しみに頂くことで、力むこと無く細く長くささやかだけれど支援を続けて行きたい。それが15年目だろうと20年目だろうと30年目だろうと、変わること無く。

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