2021年2月9日

懲罰でBugは消えない

プログラムの不具合で、陽性の通知が配信されていない状態だった、「COCOA」に関して、自民党の世耕氏が「関係者の処分を」と言っているらしいけれど、 それはソフト開発者目線から見ると反対だなぁ。処分では無く、何故そういう事態が発生したのか、根本原因(Root Cause)の明確化と、それに対しての対策・手順の設定こそが、次に繋がる行動だと思う。

私も、一応開発部門の端くれだから、こういうことは良くあるんですよ。特に、網スケジュールぎりぎり、後はとにかくトラブル無く必要なテストをして出すだけと言うときに限って大きな問題が生まれるし、本当に「何でそんな問題が見過ごされたの」みたいなトラブルが、製品出荷後に発見されたりする事は、ハードウェアでもソフトウェアでも有る話。勿論、そこに何か怠慢な工程とか意図的な行動があれば、それは批判されて処分されるべきだけれど、少なくともやるべき事をやっても見つからなかったとか、たまたまその部分を確認するべき工程が何らかの理由で抜けていたとか言う場合は、その担当者なり責任者を非難しても何も解決しない。それよりも、その失敗の経験をどれだけ次の機会に還元して、繰り返さない仕組みを作るかの方がより多くの利益をもたらすはず。

自分が勤めている会社が外資系と言う事もあるからもしれないけれど、やはり欧米社会は「失敗を許容する」社会だと思うし、その失敗から何かを学んで次に生かすことが出来れば、それがさらに大きな評価になったりする社会。一方で日本の組織は、失敗を許さないというか、失敗をすることを回避しようとするから、平均的だけれど高品質なものが生まれやすい。一方で、たまに突拍子も無い製品が出てきても、中々それを上手くいかして伸ばそうという事は難しい。日本の製品製造において、「WALKMAN」というのは最大のエポックメイキングだと思うんですが、あれだって社長の鶴の一声が無ければ、生まれなかったものだし。まぁ、そんな鶴の一声はどこの会社でも毎日幾つも生まれているんだろうけど、その中からものになるのは本当に千三つ所か万三つとか億三つにも足らないかもしれない。

少し前に、スペースXの帰還機が着陸に失敗して爆発した事故が取り上げられていて話題になりましたが、ああいう開発途中の技術に関しては、正直「どれだけ失敗できるか」でその後の製品品質や機能が決まるもの。エンジニア的には、出来れば何度も何度もテストを繰り返していきたい所なんだけれど、当然その為にはお金も時間も掛かるわけで、そんなことを無限に許していたらいつまでたっても製品は生まれてこない。どうしても、色々な理由からお金も時間も制限を受けるわけで、そうなれば限られた失敗回数からの知見や経験をどれだけ上手くいかすかで、次の失敗の回避をしつつより目的に近い製品が生まれてくるもの。それを、処分だけしては、失敗の知見は生かされないし担当者だって失敗を恐れて無難な事しかやらなくなる。それが一番の問題なんですよね。そう言う事が、不安とか萎縮せずに色々な仕事や場面で可能な社会に日本がなれば、AmazonとかGoogleとかみたいな企業が生まれてくる可能性もあるんですが。最近は少しよくなりつつある気もするけれど、「失敗を許容しない社会」というのが、日本社会の中の問題点の一つだと思う。

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