2021年2月28日

毒舌は必要か

この春に大きく改変される、朝のワイドショーに関しての週刊女性PRIMEの記事だけれど、 「毒舌」って何なんでしょうね。自分などは「毒舌」と聞くと、まずは「毒蝮三太夫」氏が思い浮かぶんだけれど、じゃあ彼の発言は不謹慎かというと、内容的には結構高齢者を弄りながらも、その発言はその高齢者に受けている人気者の一人。でも、毒蝮氏に対しての、この記事のような批判は余り聞いた記憶が無いのだけれど。

ところで、この記事の中では、お昼のワイドショー司会者の毒舌に関して取り上げているけれど、でもトップに掲載されているMC写真の右側、恵俊彰氏や加藤浩次氏は、朝のモーニングショーのMC何ですよね。で、朝の毒舌と言えば、テレビ朝日の「モーニングバード」玉川氏とか青木氏当たりがまず最初に頭に浮かぶのだけれど、それに対しての言及は無い。まぁ、民放のモーニングショー、ワイドショーなんて、どこのチャンネルも一日中好き勝手なことを好き勝手な解釈で好き勝手に言っているだけなので、早晩飽きられることは確かなんだけれど。

勝手な解釈ですが、毒舌というのはフランスの「エスプリ」的な部分がどれだけあるかで印象が変わるんでしょうね。単に相手の悪口だった家事実無根な批判だけなら、それは毒舌の体を取っていても単なる罵詈雑言なんだけれど、そこに何か捻りというか一つあれば、「毒舌」として成立する批評になるんだろうなぁ。ただ、個人的にはそれがどんな形であれ相手の批判がとっかかりというのはちょっと賛成できないけれど。何だろう、説教強盗みたいな家矛盾みたいなものも感じるし。いずれにしても、たまたまそう言う芸風、あるいはそう言う言い方をするけれど、しかし核心にしっかり触れて問題の本質を明確にする発言ならまだしも、単に大きな声で自分の言いたいこと(なのかも、時々疑問に感じるけれど)を発言して、それがさらには権力とか政治に対しての発言だと、何となく受け入れられていたのが、これまでの状況で、それは決して本来の「毒舌」の意図では無かったと思う。

「厳しい意見」とか「厳しい指摘」というのは、声の大きさとか「反○〇」とは全く関係無く、どれだけ問題の本質を明確にして、その中で是非を指摘できるかだと思うんですよね。ここ数日話題になっている、東北新社の総務省に対しての接待問題だって、菅総理の長男だけがフレームアップされて、そこから菅総理批判へと繋がり、その先には「政権交代」みたいな野党の下心しか感じないのだけれど、あれだって利害関係者との付き合い方という、普通の企業だって倫理規定として定めているルールの話。強いて言えば、総務省側の確認作業がおざなりだったと言うだけの話で、多分他のメディア各社だって同様の「場の設定」流行っているだろうし、他の省庁だって似たような事は行われているはず。だって、過去散々恥ずかしい「接待疑惑」問題が何度も出ているのに、未だに「接待」が無くならないわけですからね。「接待」というとどうしてもネガティブな印象を受けるけれど、利害関係者だからこそ、双方の意志確認とか意見交換する場は重要だと思うんですよね。ただ、ちょっとバランスが崩れると「利益誘導」となる場合もあるから、厳密な倫理規定が要求されるわけで、それが出来ていなかったという話。だからこそ、冷静に何が問題で、どういうことが必要なのか丁寧に説明するならばまだしも、テレビから流れてくるのは「7万円の食事代金」とかいう話ばかり。だから、接待も無くならないのだろうなと再認識しました。まぁ、それでも「毒舌」ならば、感情的に良い・悪いを感じることもあるんだろうけど、池上彰氏のように言葉はソフトだけれど、言っていることは眉唾物という方が、もっと質が悪い気がする。

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