2021年2月7日

ゼロと完全は実在しない

立憲民主党が提唱する「ゼロコロナ」。与党の「with コロナ」に対抗したのか、「うちは、コロナを無くします」と言うけれど、旧民主党時代にガソリン税すら無くせなかったし、沖縄から米軍基地を「最低でも県外」と言いながら撤回し、消えた年金も戻せなかったくせに、結局は自分達が「ゼロ」になってしまった人達の台詞とは思えない。

まぁ、自分は理系の人間だしそう言う考え方をするから、尚更なのかもしれないけれど、世の中で「ゼロ」とか逆に反対の「完全(100%)」という事柄は殆どというか、実在しないと言ってもいいんじゃ無いだろうか。 私が知っている範囲では、天然痘は撲滅された唯一の感染症だけれど、それ以外はまだ存在しませんし、天然痘にしても確か近似大破保管して居て万が一に備えていると思ったから、未来永劫再発しないとも言い切れないだろうし。

実験何かしていると良く体験するのですが、ゼロとか100%というのはそれぞれの頂点な訳で、どちらに近づくにしても大変さは指数的に増加するんですよね。だから問題はない方が良いけれど、だからと言って「ゼロディフェクト(Zero Defect)」という目標は掲げるけれど、それを目指していては未来永劫時間が有っても足りないかもしれない。そこで、許容値を設けて、そこに到達したら合格みたいな判定をするわけです。同じく、100%の例えばエンジン出力を達成するには、全ての部品・部分が100%に達する必要があるわけで、その瞬間は生まれるかもしれないけれど、それが継続しないと意味が無い。だから、出力は例えば80%位に落としても、それが継続して維持出来る耐久性を優先したりするわけです。結局は、理想値を追求はするけれど、それが出来ない場合の問題の大きさとそれによって生じるリスクや負債とのトレードオフを考えて、十分にコントロール可能な範囲で影響も軽微であれば、あえてそれ以上は追求しない事も。そこには、経済的な理由(コスト)も含まれているわけで、そう言う全体のバランスが考えられたものが「良い製品」で有、決して「最高性能」だけが評価基準じゃ無い。

だから、「ゼロコロナ」にするためには、非常に多くの手続きだったり技術だったりコストが関わるわけですが、肝心のそう言う話は出てこない。与党「withコロナ」の上を行くには「ゼロコロナ」しか無いから言っているだけで、多分仮に政権を取ったとしても、「そうだっけ、てへぺろ」とガソリン税みたいな感じで都合良く忘れるんでしょうね。代替、現時点でやっとワクチン接種が始まったタイミングなのに、それを無くすことが出来ると言える科学的根拠すら無いし、辛うじて聞こえてくるのはPCR検査を拡大してという、肝心な状況を理解していない話ばかり。それでも、その目標実現のために時間を費やすならまだしも、国会でやっているのは週刊誌の後追いばかり。週刊誌頼みの政党が、真っ当な政策を勝たれるわけが無いとは理解しているけれど、例によって無能な働き者には馬耳東風なんだろうなぁ。

0 件のコメント:

コメントを投稿