2021年1月13日

マスコミをやめる静岡新聞/SBS

ITmediaに掲載された、地元地方紙「静岡新聞」と系列局「SBS(静岡放送)」の「マスコミやめます」宣言という記事。「えっ?」と思い、静岡新聞のサイトから当該ページを見てみました。

「静岡新聞」にしても「静岡放送(SBS)」にしても、静岡県を代表するようなトップ企業と言っても過言では無い存在。新聞業界は厳しい状況が続きますが、地方紙の中でも確か静岡新聞は結構検討している部類だったと思います。また、静岡放送(地元では「SBS(エス・ビー・エスの方が一般的)」)も、県内初の民間TV放送会社で、自分が子供の頃自宅のテレビで視聴可能だったのは、NHKの総合と教育、それとSBSしか無かった時代を経験しているので尚更です。で、昨今マスコミに対して厳しい意見や主張がネットで展開されることもあっての、こういう行動なんだろうけど、天の邪鬼な自分としては「別にマスコミという存在がマスコミをやめる必要は無く、マスコミとしての本来の目標・使命に戻れば良いだけでは」と思ってしまうんですよね。

「一人一人みんな違う」から「マス」ではなく「一人一人に向き合う」というのは、一見今の時代に即した正しい意見にも聞こえるけれど、それって一人一人の新聞購読者・放送視聴者が、静岡新聞/SBSに対してきたいしていることなんだろうか。購読者・視聴者にすれば、静岡新聞やSBSに期待していることは、知識の無い自分に対してそれを補ってくれる事や、難しい話や不確かな情報を補正して、自分が判断出来る基盤作りの助けをしてくれることじゃ無いだろうか。静岡新聞やSBSがそうと言うつもりはないけれど、最近のマスコミ批判の原因は、マスコミが「事実報道」ではなく「真実報道」という自らバイアスをかけた情報を流布していることが根本原因だと思うんですよね。だからこそ、一人一人に個別に対応するのでは無く、マスとして組織力を総動員して、本当に「事実」として読者・視聴者が誤解しないような「情報」を配布する事が本来の役目のはず。その「情報」の中には、多数の人にとって有益な物であっても、別の少数の人にとっては不利益だったり、知りたくなかった事実が含まれるかもしれない。だからと言って、その部分をぼかしたり、言い換えたり、無かったことにするのは、「(マス)メディア・(マス)コミュニケーション」としては違うんじゃないだろうか。

静岡新聞/SBSが、何かの相談所であったり、福祉や社会貢献の支援組織なら、「これまでのマスの支援方法を、一人一人に寄り添う支援にします」というのは意味があると思う。でも、彼らはそうじゃなくて、言ってみれば「情報伝達者、情報整理人」みたいな存在な訳です。それなのに、伝達する部分に変なバイアスやフィルターが掛かっていたり、情報の冗長部分の整理や要約するならまだしも、そこに怪しげな内容を追加したり、酷い場合には捏造や虚報に近いような編集をしたりすることが問題。そう言う事が、ネットを通じて多くの人が認識することになったから、マスコミに対しての批判も大きくなるわけで、そう言う意味では「原点に戻る」という事をもっと真剣に考えて欲しいなと思いますね。まぁ、色々文句は言うけれど、自ら「マスコミ」という立場に疑問を呈して、それを広く公開して改革を進めるという態度は非常に真摯で良いことだと思います。地元という事もあるけれど、現在信頼を失墜するだけの他のマスコミ、特に大手マスコミの規範になるような結果を是非残して欲しいと思いますね。

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