2021年1月21日

話し方よりも内容

国会が始まり、菅総理も初の施政方針演説をしたんですが、相変わらず「棒読み」だとか「気持ちが伝わらない」みたいな事を、特にメディアや野党が言うんですが、じゃぁ過去の首相で「感情込め」て「気持ちが伝わる」演説をした人って誰なんだろう、と。個人的にぱっと浮かぶのは、小泉純一郎元首相だけれど、彼はその情熱的な言い回しを逆に批判されていたような。もっと遡ると、田中角栄元首相も、その木訥した話し方が親しみを感じられて、彼の学歴等からも「庶民宰相」みたいな事を当時言われて多様に記憶しているんですが、でもロッキード事件後は完全に掌返しだったよなぁ。

自民党以外では、55年体制崩壊となった細川護熙元首相が誕生したときには、非自民党政権誕生という事もありかなり色々持ち上げられたし、アメリカ大統領のスタイルを真似て、プロンプターを取り入れたのも彼だったと思うし、完敗にシャンパンを使ったのも彼が初めてじゃ無かったかな。そんな「いけてるスタイル」が当時は持てはやされたけれど、結局は佐川急便の借入金問題で退陣するんだけれど、スタイルは良かったかもしれないけれど、結局は格好付けて終わったような印象しか無いし。勿論、その人の見た目とか行為で印象はおおきく変わるものだし、そこは人によって違いもあるんだろうけど、だからと言ってそういう人がトップにいるような組織って、ある時期はイケイケドンドンで上手く言っても、何かの切っ掛けで転倒して転落して行くことが殆どのような。ただ、リーダーたる物は「黙って俺の背中に付いてこい」では務まらないのも事実で、そこはやはり何らかのカリスマ性とまでは行かなくても、リーダーシップを感じる「雰囲気」みたいなものは必要。

菅総理の演説する様子を見ていると、私は官房長官時代と比べて少し元気が無いように感じるんですよね。官房長官時代の会見の時の方が、言葉の勢いがあったように感じるし、メリハリがあったように感じます。それに比べると今の話し方は、正直一寸ぼそぼそ言うようにも感じるし、その当たりが不評なのかも。安倍前総理の話し方は、ある程度言い方にメリハリは感じたけれど、「~はですね」とか「~でありますから」とか、一寸回りくどく繰り返す話し方が個人的にはマイナスと思っていました。だから、菅総理としては、短く「~です。」「~ます。」と、ですます調で簡潔に話をしていくようにしたらどうだろうか。そうすることで、語尾に力がこもれば、言葉に力が入っているように感じられるだろうし、文章を短くすることで、全体的な印象も短くなり、そんなにフラフラしているように感じられなくなるんじゃ無いだろうか。仕事のプレゼンテーションなんかでは、私も出来るだけ短い文章で言い切る様な話し方をするようにしていますが、そうすることで結構相手に付け入る隙を与えない気がするんですが。

「伝え方」も大きな問題だと思うけれど、結局はトップの話というのはその人の責任で公にする、その「内容」ですよね。数値目標だとか、スケジュールだとか、方向性だとか、そういう部分を評価して批判するなら、そこから利益も生まれるだろうし大きくも成るだろうけど、其れ以前の話し方云々で評価しては、正直無意味だと思う。伝える側の責任、と言う事も有るとは思うけれど、だからこそ書き物としてその内容も公開されているわけで、役者じゃ無いんだから「話し方」の評価は優先順位は低くて良いと思いますね。逆に、メディアはそう言う装飾の部分に惑わされるのでは無く、内容に関して吟味して取材して批評するべきなのに、それでは視聴者数や読者数を獲得出来ないから、受けやすい「話し方」とかの見た目の問題に走る。これも、立派なブーメランだよなといつも通りの感想しか浮かんできません。立憲民主党の枝野幸男代表は、こんなことを言っているみたいだけれど、旧民主党政権崩壊後、もう9年も経つのに未だにその反省やお詫びするチャンスを生かすどころか気がつく素振りも無い自分達に対してはどう思っているのだろうかと聞いてみたい(笑)。まぁ「ゼロコロナ」とか、好きなことを言えるのは、何をしても自由な「安定野党」の地位にいるからだし、それだけで彼らのやる気の無さを感じてしまう。

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