2021年1月24日

見出しは読むな

 いつもは冷静なコメントをしている、佐々木俊尚氏結構厳しい口調の投稿をしていて一寸ビックリ。事の発端は、先週掲載された「AERA」の記事で、その記事の内容と見出しの内容が、全く乖離していること。批判を受けて、見出しはネットの見出しは修正されたけれど、印刷媒体はそのまま掲示されて、書籍も販売されるみたいで、実質的に誤解を広めていることには変わりない状態が続いています。

その状況について、佐々木氏ご本人がラジオ番組で解説されていますが、自身の古巣も含めてメディアに対して苦言を呈さざるを得ないほど、最近の「反ワクチン」は酷い状態。世の中には「絶対」という事は無いからこそ、色々なテストや確認をしてそのリスクを下げる努力は、特に命に関わる医療関係は厳しいわけですが、それでも「0」には出来ない。不幸にして、副作用などで重篤な状態になったり最悪のケースでは命を落とす場合も有るけれど、そのワクチン接種をしなければ、その病気に羅漢して同じような状況になってしまうかもしれない。そういう部分を冷静に検査して判断するのが、本来の「人の知恵」のはずなのに、そう言う積み重ねが単なるお気持ちで完全否定されてしまうのが、この「反ワクチン」騒動の恐いところ。

何故「反ワクチン」なのか。「ワクチン」は、その病気を患わないように、あるいは病気回復するために使用するものだから、「ワクチンが効きます」というのは普通の話し。逆に、「ワクチンは効きます」という記事を書いて、一人でも問題となる事象が発生してしまうと、それを理由に責任問題に発展するリスクもあります。一方で、「確かに効果的なワクチン化もしれないが、こう言うリスクがある」という言い方をすると、それは事実の一つでもあるだろうから嘘では無いし、人の興味も引きつけられる。さらには、万が一の場合には「弊社の記事は警鐘を鳴らしていた」と言い訳も出来る。勿論、最初からそう言う筋立てを狙って批判的な、あるいは「反○〇」的な記事を掲載しているわけでは無いと思うけれど、人の幸福な話は興味ないけれど、不幸には興味をひかれるという暗黙の了解みたいな物を想定して、そう言う生地が受けるのだろうし、それがビジネスに繋がるとなればやはりそう言う傾向に傾いていくのは仕方ないとは思う。でも、そう言う否定的な内容であっても、誤解を招く表現や内容は許されないわけで、特に記事の見出しともなれば、言ってみれば「記事」を商品と考えたら、その「包装紙」みたいな物。

先日、「LARGER」のミススペルで一時販売を中止したビールがあったけれど、あれが同じミススペルでも「BEER」が「WATER」だったら、問答無用で販売中止にしないと拙いでしょう。水と間違えてビールを飲んでしまい、それで健康被害が発生するリスクが生まれてしまうから。今回の場合も、ワクチンを否定して居るわけでは無いのに、見出しでは専門家ですら「3割」しかいない、という誤解を植え付ける見出しを付けているわけで、それはビールを水と間違えるリスク以上に深刻な話だと思う。こちらの佐々木氏のラジオ番組の発言最後の方に、

それぞれの記者、もしくはデスククラス、彼らがいちばん重心を置いているのは「社会正義」なのです。ですから、今回の問題はお金や利益のためという話ではなくて、「歪んだ社会正義の問題」なのです。

という言葉が有り、凄く納得いく気がします。事実ではなく「真実」を報道すると言うことは、そこに主観が入ってくるわけで、その時に「自分の信じる正義」が規準になれば、それはその人にとっては正しくとも、社会全般からみたら「歪んでいる」可能性は大きいでしょうね。 本来なら、ネットが補正をして行き、それによってメデイアも補正して収束することで、どちらも情報伝達手段として適正な媒体になるはずなのが、メディアはそれを否定している現在、ますます歪みが増大しているように感じます。そう言う前提で、我々は情報に接して収集して判断するという、より複雑で高度な「情報リテラシー」を持たないといけない時代にますますなっていますね。

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