2020年12月26日

「手抜き」ならぬ「手間抜き」

最近時々目にする話題ですが、準備済みの素材を使ってする料理を「手抜き」と言う風潮。今は実家に戻っているので自分で料理することは殆どありませんが、大学に入ってから戻るまでの25年以上ずっと自炊生活だった自分としては、それは「手抜き」ではなく「手間抜き」という効率化、最適化だと言いたいところ。

ここでは、千切りキャベツやカット済み鶏肉の話が書かれていますが、千切りキャベツは既に切られているから鮮度の問題が気になるけれど、最近は梱包技術も進んでいるので切ってあっても酸化の程度は僅かだし、逆に細く切られているキャベツは自分でやろうとすると中々大変。その分の手間とコスト(価格)のトレードオフをどう考えかだけの話。大体そう言う事を言い出したら、例えば「お味噌」なんかも自分が子どの頃は自宅で作っていたけれど、今そこまでやる人はほとんどいないし、普通にお店で買ってくる物という認識のはず。まるごと売られている野菜だって、昔は形もサイズも不揃いが当たり前だったけれど、今は見た目や流通の問題から、殆どが同じような形・サイズに統一されていて、これもある意味「手抜き」みたいなもの。今では普通使われる、「Cock Do」も最初に登場したときには結構衝撃的で、複雑な調味料の準備や手間がレトルトの袋一つで済むなんて言うのは、画期的だった記憶があります。

昔は、他に方法が無いか「一から始める」しか無かったんですよね。それが、技術や市場のニーズもあって、半調理済み、半加工済みの物とかが流通するようになれば、それに価値を見いだす人は利用するだろうし、自分の腕に拘りたい人は最初からやれば良いだけの話し。大体、そんなことを言い出したら、事前に調理をして冷凍保存しておくことも「手抜き」と言われかねない。でも、今は冷凍技術も進んでいるし、冷蔵庫の性能も上がっているから可能なわけで、それによって時間が有効利用出来たり、大量に素材を購入して食費を抑えたり出来るなら、そちらの方が付加価値が高いわけですしね。大体、料理の場合既製品を使ったり、半加工品を使うと「手抜き」と言われるのに、何で家の掃除をロボット掃除機に任せることを「手抜き」と言わないのだろうか。洋服だって、昔はミシンとか手縫いの道具がどこの家にもあって、既製品を買ってきてなおしながら着たり、お下がりを作り直したりして使用した物だけれど、今はそんなことをやる人も減ってきてUNIQLOとかで買って来てお終いなのに、それを「手抜き」とは言わない。口に入る物だからなのかもしれないけれど、事料理に関しては色々言われるような気がします。

一方で、料理系の特集とか番組を見ていると、「時短料理」とか「手間なし料理」みたいな手法・技術が持てはやされて人気だったりするわけです。本当に「手抜き」と批判するなら、そう言う事を批判するべきだけれど、そう言う場合には「今の時流に合った」とか「目から鱗の料理」みたいな言い方をするわけだし。美味しいか美味しくないかは、その食べた人が感じる話しであり、実際に食べてみて同じとまでは行かなくても、ちゃんと美味しくいただけるなら十分なはず。そう言う事もあるから、例えば生麺を乾麺にして保存性をアップしたり、それによって大量生産出来ればコストも下がるわけです。それに、下手な手打ち蕎麦よりも、乾麺の方が美味しかったりすることも結構あるし(笑)。製造の工程だって、昔ながらの手法は尊重しつつも、可能なところは簡略化したり、新しい手法に置き換えたりして、より良い物をより効率的に製造する事を目指す分けで、それと同じ事だと思うんですよね。言い方を変えれば、単なる権威主義だけみたいな気もします。少なくとも料理に関しては、美味しいことが一番重要な要素な訳で、その作り方まであーダコーダ言いだしたら、いつまでたっても料理が出てこず空腹のまま過ごさなきゃいけない。そっちの方が、大問題だと思う(笑)。

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