東京新聞に掲載された、日本学術会議の任命拒否に関しての記事なんですが、どうも腑に落ちない。地動説を唱えて裁判に処せられた、ガリレオ・ガリレイに擬えての記事なんですが、どうも東京新聞(というか、これを主張したのは「イタリア学会」なる団体らしいけれど)は、地動説を唱えたガリレオが任命拒否された6名の学者で、裁判で天動説を主張したその他多数が政府という認識らしい。でも、「世の中ではこれが正しい」と言っていた日本学術会議がその天動説側で、それに異を唱えた政府(=菅総理)が地動説側のガリレオじゃないのか?
というか、例えばこの記事に掲載されている7団体は、今回任命拒否された6名とか、日本学術会議とどう言う関係があるんだろうか。ガリレオに擬えたイタリア学会も良く分からないけれど、奈良時代の文献研究をするという上代文学会が、古事記や日本書紀の研究が国家権力に弾圧されたとか、正直意味が分からない。日本野鳥の会(等?)は、健全な自然保護の推進の観点から見過ごすことは出来ないと言うけれど、そんな話は今回出ていないわけで、今の所自然保護団体に理論的なよりどころを示してきた「学術会議」も、そのままな訳です。600余りの団体が抗議の声が上がっていると言うけれど、その中の幾つの団体が日本学術会議と関係しているのか、どう言う意図なのか、そのあたりが良く分からないで、単に多数の団体が反対しているから間違っている、と言っているだけにしか読めないんですよね。
特に記事の最後には、日本学術会議の梶田会長が「こころ強い」と歓迎の言葉を掲載しているけれど、それならなんで先日菅総理と会見したときにこの件を質問しなかったのだろうか。他に話すことがあったと言うけれど、学術会議としてはこの任命拒否の県が最重要課題のはずなのに、なんでそれ以外の話をしたのか、その説明も曖昧ですし。大体、「違憲だ」「憲法違反だ」「ヒトラーだ」と言っている本人達が、「じゃあ裁判で」と言われると、「それは...」とお茶を濁しているのは、結局口ではそう言っても実際はそうじゃないことを良く分かっているからでは。「学問の自由が侵害された」のであれば、地位保全の訴えをすれば良いだけの話し。でも、今回の措置で所属大学から首になったとか言うなら別だけれど、とある任意団体のメンバーに選出されなかったことを「学問の自由侵害」と言えるのかどうか。それを言い出したら、転職したときに採用されないことも「学問の自由侵害」となりそうな気がする。
今回の件は、この「日本学術会議」成る団体組織の存在が、国民に浸透していないこともこの件が大きくならない理由であることは事実。しかも、今回の件から色々過去の履歴を調べてみると、決して「学術」だけでは無い活動もしている様子も伺えるし、過去提言している内容に関しても、「それって理論的にあるいは学術的に正しいのか?」と個人的に感じるものも。この6人は政府に批判的だから否認されたと言うけれど、同じように批判的な発言をしている別の人は認証されているし、反論している側の意見に、どうも一貫性がないと言うか説得力を感じられない。しかも、以前も同様の事があったのに、今回は何故かフレームアップされたからなのか、色々反論を出しているけれど、じゃぁなんで以前は良かったのか。以前は、定員以上の人数名簿を出して、否認された人を他の人で補充したらしいけれど、それなら今回も同様にすれば良いだけの話し。なんで前回は良くて、今回は駄目なのか、その説明も聞きたいところ。やはり一度、この問題は徹底的にやった方が良いのだろうか。でも、その時は組織全体の話しとして、会議の存続すら問題になりそうな気がする。まぁ、それも彼らが選択した道なんでしょうけれど、でも騒げば騒ぐほど自分で自分の首を絞めていく結果になりそうな気がする。
0 件のコメント:
コメントを投稿