2020年10月18日

米国最高裁判事

少し前に話題になった、米国最高裁判事候補の指名についての記事。日本での報道を見ると、トランプ大統領が自分に有利になるように、亡くなったリベラル派判事の代わりに保守派判事を指名するという内容しか聞いた記憶が無いのですが、内情は全く別物という話。

特に「へぇ~」と初めて知ったのが、最高裁の「保守化」「リベラル化」というのは、我々が通常耳にしている政治的な立ち位置とは異なる、憲法や法律解釈の姿勢・考え方で分けられるものという点。最高裁での「保守」とは、その憲法・法律の制定者の意図や条文に出来るだけ忠実に従う「原意主義」「条文主義」を指し、「リベラル」とはそれらの法律を時代の価値観に合わせて合理的範囲で拡大解釈し積極的に新しい権利を実現する、と言う区別。まぁ、考えてみたら公正な判断を下すべき立場の人が、政治的に左右されるようなバイアスが掛かってはいけないけれど、その判断基準となる法令や過去の判例の評価については、必ずしも一つだけではないでしょうしね。

この法解釈に則ってみると、自分は「やや保守寄りのリベラル派」という感じだろうか。全てそうとは言えないのかもしれないけれど、やはり法律を決定するには、それなりの時間とプロセスを踏んでいるわけで、その内容は意味も重みもあるでしょう。それを、5年10年で軽々しく変更するのはどうかと思うけれど、流石に50年とか100年とか経過すれば、その当時の社会情勢や状況とも大きく変化しているだろうから、変更する市内は別にしても「検証」は必要だろうし。どちらが良い悪いでは無く、同バランスを取っていくかと言う事が一番重要で、それってある意味アメリカの二大政党制にも繋がるんだろうなぁと言う印象を受けます。

で、最後のページの「権力分立の重要姓」という章を読んでストンと腑に落ちるのですが、最初から二大政党制を意識していたとは思わないけれど、上手い具合に立法、行政、司法の任期をずらす事で、特定の勢力に偏ること無くバランス良く三権分立が維持されていくような仕組みになっているんですね。もしこの仕組みが、多党制の政治で連立政権でしか与党になれないとか、今の日本のように巨大与党に多数の野党という構成になると、行政の新陳代謝が複雑化混迷化して機能不全になり、それが他の部分にも影響するんじゃ無いだろうか。二大政党という最もシンプルな要素で構成することで、システム全体が最適化されて効率化されることで、機能不全に陥らずに動作し続けている気がします。このあたりは、広大な国土に最初は少数の雑多な移民が居住していた、ある意味混乱複雑な社会をまとめるための、淘汰されながら洗練されて辿り着いた知恵なのかもしれませんね。個人的には、自分の仕事にも関わるようなシステムデザインを作るときのようなイメージを受けます。また何か機会があれば、関連した書籍でも見てみたい気持ちですね。

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