2020年10月25日

安直な例え

最近富みに感じる、メディアの劣化している一例と言って良いんじゃ無いかと思う、日経新聞の記事。SNSでは、安易にヒトラーが取り上げられて、しかも「いいね」も集めている、独裁者の意識が薄れて英雄視すらされる、と現状を憂えているわけですが...

その理由の一つでかつ大きな物の一つが、メディアの責任があると思うんですよね。確かに、ネットの中を見てみると、この記事に書かれているように、ヒトラーを英雄視、あるいは過去の経緯を知らずに単なる伝聞で評価するような行為があることは事実。でも、それが全体のどれだけの人の行動なのかは分からない。ネットにアクセスしている人の数(ネット人口)は、確かに今では国民の半数以上だろうと思いますが、その中でもこのような事をしているのは多分ごく一部。仮に、半数が実行しているとなると問題だろうけど、それならもっと大問題になっているはず。でも、こうやってメディアが取り上げると、まるで多数のネット利用者がそう言う傾向にあるように感じてしまう。

ここでは「SNSで揺らぐ平和意識」とタイトルに付けているんですが、じゃぁSNSではないリアルの社会ではそう言う事は無いのかと言えば、決してそうじゃない。ただ、SNSのように思いついてすぐそれが表に出てこないから、見えないだけの話では。大体、ドイツにおいてすら、ヒトラーに対しての考え方が違う勢力があるわけで、時々ニュースでその活動(確かドイツでは法律で禁じられていた気がします)が報じられるくらいですからね。中々そういうものが可視化されないだけの話で、別にSNSがそう言う考え方の拡散をしているとは言えないと思う。逆に、そうやって直ぐに可視化されるわけだから、それに対して「〇〇を勉強すれば、反対意見になる」「××という歴史があるので、その考えは危険だと思う」という、相手に対しての意見も言いやすいわけで。まぁ、ただ大概の場合は、そう言う親切行為を逆に攻撃的と考えて、意見交換みたいな場にはならないのだろうけど。

本来なら、そう言う情報を商売にしてる、所謂「メディア」が先導的な責任があると思うけれど、往々にして「扇動的」になりがちなんですよね。それでも、この記事の最後に掲載されている、東京外国語大学の小野寺拓也講師の、

「(安易に)白黒をつけるのではなく、考え続けることが大切。本音で議論できる場で、率直な意見を言い合う経験が必要だと伝えたい」

 という意見が一番大切だと思う。単にそう言う事が無かったとか間違っているから否定するだけでは、本当の意味での理解にならないし、それは単なる「押しつけ」だと思う。少なくとも、その人がどんな考えを持つかという事は自由なんですから。その上で、何故批判されるのか、何故反対されるのか、何が正しいと言えるのか、そう言う事を色々考えて自分なりの解釈なり理解に至ることが、それが人として一番重要じゃ無いだろうか。その上で、ヒトラーを礼賛する考えに至るかもしれない。個人的には、そういう人はある意味不幸な人生を送っていると思うけれど、それもその人の生き方なんだろなぁ... で、そう言う事を言う人ほど、多分本物の「ヒトラー」にはならない、なれないと思います。そう言う事を周りに感じさせずに、自らの勢力を拡大して独裁体制を構築したのが、本物のヒトラーだと思うから。

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