2020年9月9日

「今の」メディア不要論

現代メディアに掲載された、ちょっと(かなり?)自虐的な記事。トヨタ自動車の豊田彰男社長の株主総会でのスピーチから、メディアの存在価値についての記事なんですが、全体を読んだ印象としては、まだ身びいきな点が感じられる言い訳的な内容かなぁと言う感じ。最初に書かれているトヨタ社長が引用した「ロバの話」は有名な逸話で、元ネタはイソップ童話の一つ。「夫婦」は「老夫婦」だったり「親子」の場合もあるんですが、ロバを市場に売りに行く途中に、回りから色々と批判されて、ロバに乗ったり乗らなかったりする様子を、豊田社長はメディアの無責任な態度に擬えているんでしょうね。で、豊田社長は話さなかったみたいですが、イソップ童話ではどの様にロバを使っても回りから文句を言われるので、最後はロバを棒に括り付けて、二人で担いで運ぶことにします。で、橋を渡っているとロバが暴れてその棒が折れてロバは川に落ちてしまい、結局は回りの言う事ばかり気にしたら、大切な物を失ってしまうと言う逸話になっているんですよね。

現代メディアの記事では、前半では豊田社長に同調する経営者のコメントを紹介しつつ、中頃からはメディアOBの大学関係者のコメントなどを取り上げます。そしてメディアとしての役割だとか、一方的に企業から出される情報だけでは消費者にとって必要な情報が得られないというような反論を掲げて、最後には「損をするのは誰か」と、受け取り側=読者・視聴者の不利益を臭わせて終わります。まぁ、編集部の記事だから身びいきな内容になるのは仕方ないのだろうけど、「相互不信は問題」と原因はそれぞれにあると良いながらも、そこで自分達側の問題点に関しては言わず、相手側(=企業側)の解決策を希望するような形で終わっています。そういう所が、この問題の原因の一つなのに。

記事の中で、企業側のコメントとして「10分の話が10秒になる」と書かれていますが、これ自体は仕方ないこと。現実の時間幅をそのまま掲載していくのは物理的に無理。だから、メディアはその内容を「編集」するわけで、その為に「編集権」も認められています。「編集権」とは、例えば飛行機とか動物など実在の物を参考に、その何分の一かのフィギュアを作るような物。ただし、実物そのままに作るのでは無く、冗長な部分を整理したり、重複している部分を削除したり、そう言った作業が加わるから、ある意味元の形を残しつつ縮尺してデフォルメしたフィギュアを作るようなものじゃないかと。その時に、どこを強調するのかどこを省略簡略化するのかによって、そのメディアの特徴なり個性が生まれてくるもので、それはそれで許されると思うし、企業としての努力目標の部分だと思います。ところが、今のメディアの多くは、実物に存在しない物を付けてみたり、幾らデフォルメすると言っても実物の許容範囲を超えた変更をしたり、場合によっては勝手に色づけしたり、形を変えたり、そういう部分が「ロバの話」に繋がるわけです。そう言うことをする理由なり意図なりが自然と分かるとか何か説明があるならまだしも、全く目的が把握出来ないのにそれが「事実」と言われるから、企業側としても独自の対策が必要になるのだと思うんですよね。

メディア側にしても、例えばファクトチェックと言って、検証作業のような行動を見せているけれど、そのファクトチェックの再ファクトチェックが必要と思われる内容が多いのも事実。良質の番組や報道に対しての表彰も色々あるけれど、身内同士のよいしょ合戦のような場合も多い。BPOという検証期間は設けたけれど、そこで俎上に上がる番組よりももっとBPOで検証されるべきと思われる番組は野放しのまま。記事の中では、企業とメディアの「相互不信」を上げているけれど、メディアは、自らと情報の受け手との相互不信も存在して大きくなっていることを自覚するべきだと思う。それが、自らの自己改革で実現するのか、ネットなど他の媒体による圧力でさせられるのか、その違いはとても大きく重要です。そこしか、今のメディアが生き残れるチャンスは無いと思うなぁ。

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