2020年8月16日

星は悪くない

朝日新聞の「戦後75年特集」に掲載されていた『星までもが戦争に利用されていた「今も同じ星見られる」』というタイトルの記事。記名記事で、その記者さんの名前に余り見覚えが無かったので検索してみたら、山梨県関連の記事が殆どで、多分朝日新聞の甲府支局の記者の方なんでしょうね。確かに、この記事も、山梨県立科学館のプラネタリウムの話題でした。75周年特集に掲載する記事として、この話題を取り上げて記事にしたのか、戦争に関連した話題という事でピックアップされたのか分からないけれど、長途情緒的すぎる内容で、戦争の悲惨さを言おうとして逆に「物語りすぎる」というか、非現実的な印象を受けるというか。

天文航法(天測航法)」は、天体と水平線の確度を計測して現在地を知る方法で、飛行機のない大航海時代に発見発達してきた技術。今風に言えば「天然のGPS」みたいなもの。GPSは勿論、地上からの電波方位信号所(電波灯台)なんかも殆ど無いような時代には、昼間なら太陽、夜ならば月や幾つかの星を基準に自分の現在位置を割り出して、目標に向かうしか無かったわけで、それを「星までも戦争に利用」というのは情緒的すぎるのでは。そんなことを言い出せば、「太陽までも、月までも、戦争に利用し」みたいな事すら言えてしまうし。話の内容は、実際に当時爆撃機に登場していた乗員や、天測に関わっていた人など20名以上に取材して脚本が作られたと言う事なので、全くの創作ではないけれど、脚色が多く加えられているようにも感じます。「一つの戦争を題材にした作品」として評価するのならまだしも、それが終戦記念日、戦後75年という一つの節目に大々的取り上げることで、何か「事実」と誤解されて刷り込まれていくことは無いだろうか。そちらの方が問題だと私は思うなぁ。

個人的に少し前に聞いて「なるほど」と感じたのが、長崎の原爆投下の話し。長崎に落とされた原子爆弾の標的(投下目標)が浦上天主堂で、当時この中では多数の信者が集まっていたところに原爆が投下され多くのキリスト教信者や関係者が亡くなりました。キリスト教を主に信仰しているアメリカ人が、キリスト教の教会に原爆を投下して、多くの信者や関係者が亡くなって、その事に関してどう思うのか、というような話だったんですが、確かにそう言うことはこの時に聞くまで聞いた記憶がありません。時刻の信仰の中心でもあるキリスト教を標的にしてまで、何故長崎に投下しなければいけなかったのか。その事を掘り下げた方が、戦争という狂気に関してもっと深掘りできる気がするし、これまで見えなかったことも見えてくる気がするんですよね。

戦争を交通事故に擬えるのは一寸不謹慎かもしれないけれど、交通事故防止のために幾ら事故の悲惨さを訴えても、なかなか交通事故自体は無くならない。だからこそ、信号機や速度取り締まり器とか、免許制度とか罰金制度での再教育とか、事前に必要な対策を考えて徹底することで、交通事故の発生を抑えようとしているわけです。同じ事が、直ぐに戦争対策として実現出来るとは思えないし、ましてや国際関係国家間の話になるのに、一国だけで出来る事も限られているだろうけど、だからこそ「何が出来るのか」という話を、この時期にもっと考えるべきじゃ無いだろうか。勿論、戦争の悲惨さを思いだして故人を偲ぶことも大切だと思うし、そこから生まれてくる考えもあるだろう。でも、最近感じるのは、余りに結果だけに集中して、原因に関しての話を疎かにしている気がします。原因をちゃんと理解して、その為の対策を取らないと、結局はいつかまた同じ事が起こることは歴史が証明しているわけで、そう言う意味での、そう言う方向性での、現実的で冷静な議論みたいな物が必要なんじゃないだろうか。単に、星に罪を被せても、何も解決しないと思う。

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