2020年8月30日

謝罪にならない謝罪

安倍総理辞任を受けて、様々な意見がネット上に投稿される中、立憲民主党所属議員である石垣のりこ氏の発言が余りに酷すぎるという事で批判が殺到することに。その批判を受けて、立憲民主党の枝野代表からの謝罪もあり、石垣氏も謝罪をしたのだけれど、その内容が不十分、論点ずらしと再び批判が集中して再度説明することに。でも、この説明も謝罪と言うよりは自分の意見の正統性を主張するだけで、まだまだ火種は消えない状態。

その説明の中では、石垣氏は突然「職場のノーマリゼーション」という言葉を使い出すんですが、これが余りに唐突。「ノーマリゼーション」あるいは「ノーマライゼーション」の意味で、障害を持つ人もそうで無い人と同様に仕事が出来るように配慮支援するという意味何ですが、それと今回の安倍総理が抱えているような難病対策の話とはちょっと意味が違うと思う。それを言うのであれば、例えば総理が147日休日無く働いたと言うときに、「それは当たり前だ」とか「一日〇〇時間しか仕事をしないのに」とか言う発言は、そのノーマリゼーションを否定する事になると思うのだけれど。

この方、元々は仙台市のFM局アナウンサーで、先の参議院選挙の時に別のフリーアナウンサー擁立を予定していたものが立候補を断念して、彼女が代わりに立候補し当選したもの。知名度もあってか、大票田での票が集まり初当選した、「議員一年生」なわけですが、20年以上もFM放送局という公の場で人に話をする仕事をしてきたのなら、もっと言葉の選び方とか使い方を意識するというか、言葉の機微に敏感なはずじゃ無いのだろうか。これ以前にも、結構過激な発言もしているみたいで、それは彼女自身と言うよりも、スタッフ、あるいはプレーンとして付いている某氏の影響なんだろうか。いずれにしても、マイナスになってもプラスにはならない話ですよね。

与党でも野党でも、往々にしてこう言う議員さんが生まれてくるのは、今の選挙制度上仕方の無いことなんだろうけど、何れの場合も「身内に甘く、相手に厳しい」事は同じ。ただ、今回の発言に関しては、後からどう言いつくろってみても、最初の発言は安倍総理への個人攻撃であり、さらには同様に苦しい状況にある人達に対しての差別的発言であることは事実。「配慮が足りなかった」で済む話では無いと思うのですが。散々日頃から、やれ人権がとか差別がとか言っている人が、実は本心ではそうでは無かった、と言う事を証明している一例ですよね、これ。毎度の事だけれど、これが与党議員の発言であったなら、烈火のごとく批判する側の人が、いざ自分が逆の立場になった途端になぁなぁで終わらせるから、彼に対しての不信感は消えないし、支持も増えない。折角野党合流という一つの「目玉」が出来掛かったところに、安倍総理退任で一気に話題は与党側に奪われて、本来ならどちらも新しい体制で秋の臨時国会を向かえるわけで、それなりに政策や行動に注目が集まるはずなのに、野党側の合流の話は全く消えてしまった気がします。そこに、この話。ますます国民は、野党に対しての興味を喪失して行くだけなんだろうなぁ。まぁ、それも身から出た錆、そこから何か新しい物が生まれるなら良し、そのまま消えていくのも良し、でしょうか。それでも、彼女の発言は非常に不愉快だし、それに応じた謝罪はまだ成されていないと思う。

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