その記事の中で、「せんとくん」の生みの親である彫刻家の籔内佐斗司氏の次の言葉が重いですよねぇ。
「せんとくんのデザインに嫌悪感を抱いたひとがいたことを否定するつもりもありません。私たちアーティストは、自分の創作物が好き嫌いで判断されるのは当然のことであると了解しています。ただし、好き嫌いの個人的感情を、善い悪いの社会的問題や倫理的問題にすり替えて見当違いの批難をされた場合は作家生命をかけて毅然として反論します」確かに「好き・嫌い」を感じるのは、別にデザインだけで無く芸術であっても、自然の物であっても、誰もが感じる事。それは自由だし、だからこそ「人間」としての行動も生まれてくるものと言って良いんでしょうね。で、自分も含めて問題なのは、その個人的感情が、そのまま社会的・倫理的な「善し悪し」として批判された評価されてしまう、今の風潮。私も昔はそう言う傾向が強かったんですが、色々経験するとともに、「好き嫌い」と「善し悪し」は別の物だろうという事を理解して分離して考えることが何とか出来るようになったつもりなんですが。
個人が、まぁその時の勢いなり未熟さから、自分の好き嫌いを事の善し悪しに転化してしまうのは仕方の無いことなんでしょうけど、最近の風潮としては、それなりに社会的に地位のある人あるいは社会経験のあるだろう人が、何の咎めも無くそう言うことを平気でやってしまう。「保守とリベラル」とか「右翼と左翼」とか、二極化しそうな条件だからそうなりやすいのか、そうなりやすい人が現代では二極化しているのか分からないけれど、言ってみれば「思考」とか「感情」というものに関して、底が浅くなっているとも言えるかもしれませんね。
シンボルマークが決まると、その特徴的な形からか、いろいろな「応用例」が直ぐに作られて、TLはお祭り騒ぎ。そう言う「ノリの良さ」は嫌いじゃありません(笑)。それに、何となく関西の雰囲気というかノリというか、そう言う笑い飛ばして行くような感じが良いですよね。そう言うノリの良さで、2025年の万博を是非成功させて欲しい。その時に、行けるかなぁ... 行きたいなぁ...
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