一方で、プロテニスプレーヤーとして大会に出場し、怪我とか故障等の理由以外で大会途中で棄権した場合、それまでに対戦した選手達の気持ちとしてどうだろうかという疑問も自分は感じます。たまたま検索をしてみたら、自分と同じような印象を持たれた記者さんがいて、この件に関して記事を書かれていたんですが、まさに、
大坂からの賛同は得られないとは思うが、やはり棄権には違和感が残る。なんですよね。続いて書かれているように、例えば大会開催前に棄権するなら理解出来ます。また、この種目が団体競技・チームスポーツで、そのメンバーから外れるというのであれば、まだ少しは理解する余地もあります。でも、テニスという個人競技のスポーツとなると、棄権するという事はそれまで戦ってきた相手にも失礼だろうし、その先に残っている試合も壊すことになるわけで、それって自分は満足出来るかもしれないけれど、それまでに敗れた選手であったり、これから対戦する選手はどうすれば良いのだろうか。仮に、その大会の主催者が何か差別的な言動や行動をして、それに対して反対するのであれば理解出来ます。あるいは、次の対戦者がそう言う発言・行動を公にしているから対戦できないというのであれば、まだ理解出来ます。でも、そう言う話は無いと思うし。
彼女のメッセージの中で、「私が、プレーしていないときに何かが起こるとは思いませんが、大多数の白人スポーツの中で会話を始めることができれば、正しい方向への一歩だと思います。(I don't expect anything drastic to happen with me not playing, but if I can get a conversation started in a majority white sport I consider that a step in the right direction.)」と書いています。小さな事でも良いから、何か今示したいという彼女の気持ちは理解出来ますが、それならばこの大会を圧倒的な強さで勝ち抜く、というのも"anything drastic to happen"だと思うんですが。まぁ、「そんな、優勝できるかどうかも分からないのに、綺麗事を言うな」と言われてしまうのだろうけど。ただ、彼女が、この「テニス」というスポーツで何か主張したいと考えているのであれば、棄権も一つの意思表示ではあるけれど、それ以外にもやり方は色々あると思うし、そう言うことを彼女くらいの立場の選手なら、先ず考えるべきじゃ無いだろうか。
その後、大会スケジュールが1日休止された事もあり、大坂選手は準決勝に参加することを表明。これはこれで、「うーん、何だかなぁ」という気持ちが残らないことも無いのですが... 仮に、今回の騒動がますますエスカレートした場合、あるいは類似の事件が不幸にして再発した場合、彼女はその時にもまた大会を途中棄権して意思表示するのだろうか。その時には今回以上の意思表示をしないと、逆に彼女が責められる原因になってしまうと思うんですよね。自分自身、アメリカの社会構造や歴史に詳しいわけでも無いし、偉そうに語れる知識や経験も持ち合わせていないけれど、それでも多少なり向こうの社会での生活経験から言えば、日本での報道はステレオタイプな部分が多々あるし、元々のアメリカの報道も、かなりバイアスが掛かった物も多いような気がします。だから、彼女にしても、例え反対の意見であっても、まずは冷静に「聞く」事は拒否しないで欲しいですね。こういう状況になると、どんどん「〇か×か」みたいな二極化していって、先鋭化していくばかりになって、対立がどんどん深まるばかりの状況になるだけ。言いたいことは色々あるとは思うんですが、対立することが目的では無いはず。解決策を見つけるためには、相手の言うことを聞き、そこから場合によっては相手の矛盾なり弱点も見つかるかもしれない。そう言う方向、彼女の次の行動は向けて欲しいと思います。
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