一寸古い記事なんですが、TLで見つけた藤井聡太新棋聖の2年程前の叡王戦トーナメントでの記事。その中で印象的な部分が、2ページの最初にインタビューしている「脳内将棋盤」の話。実際の将棋盤上の駒配置を頭の中にも置いて、そこでいろいろと駒を動かして最良手を見つける方法で、多分誰でもやっていることでしょう。例えば、算盤の暗算なんかも、最初に教えられるのは「頭の中に算盤を置いて、そこたまを動かして計算する」と言う事。一種のシミュレーションを、頭の中でするわけで、それは多分将棋ソフトのアルゴリズムも同様のはず。
ところが藤井新棋聖は、そう言うことはしないで、どうも実際の盤面を見て何か別の「もの」を感じて判断しているらしい。僭越ながら、この話を読んで自分的に思ったのは、「これって、自分が経験した英語の体験と同じじゃ無いだろうか」という事。私は、大学生時代殆ど英語が出来なかったくせに、何故か外資系企業に入り、しかもアメリカ人相手に仕事をする開発部門に配属されて、入社当時から英語には苦しめられました。で、入社して3年目に始めて二週間ほどアメリカの研究所に出張して、散々苦労した後、その1年後に同じ場所へ、今度は当初は2ヶ月の予定だった出張が、結局は伸びに伸びてのべ7ヶ月滞在する事に。この時、最初は英語がグタグタだったんですが、2ヶ月ほど過ぎたときから、突然相手の話ていることが「理解出来る」様になり、しかもそれに応じて私の話している英語も「通じる」様になってきたんですね。自分では全く気がつかなかったけれど、どうも私の話している英語は、相手(=Native)と同程度に早口で、それなりに流ちょうになっていたらしい。
実は、総数状況になって暫くは自分でも気がつかなかったんですが、有る時何故か仕事の会議の様子を夢の中で見て、その中で自分が英語で相手とディベートしている様子をはっきり記憶して目が覚めたことがありました。そこで閃いたというか気がついたのが、それまでは「日本語⇔英語」の「言語変換」をしつつ会話をしていたのが、二ヶ月ほど過ぎた頃から、耳に入る英語がダイレクトにそれが意味する事象として認識出来るようになったこと。それまでは、何か物を例えば「リンゴ」を説明するのに、「丸くて赤くて皮があって、果肉には少し酸味があって」みたいな「言葉」で伝えていたものが、「リンゴ」という画が直接イメージとして浮かんでくるような「跳躍」した感じ。そうなると、会話や会議中のものの考え方や、話の筋立ても違ってくるし、会話するリズムも変わってきます。もしかしたら藤井新棋聖も、駒を動かして次にどうなると言う情報の積み重ねではなく、何となく駒が光って見えたり、うち筋が光って見えたり、あるいは何手か先か最終的な盤面のイメージがわいてくるような感じなのかもしれない。(あくまで、勝手な個人的意見です)
英語では、そういう閃きみたいな事を"Perspective"と言ったりしますが、何となく個人的には凄く納得出来る話。スポーツ選手等は、種目にも寄りますが、瞬間瞬間の判断を続けて要求されるような種目の場合、いちいち頭で考えている時間は無いので、その時の直感というか「本能」に近い感じで次の動作を予測したりしますが、それに誓いでももっと膨大な情報量を瞬時に扱う情報処理が、彼の頭の中ではぐるぐる回っているんでしょうね。言ってみれば、現在のノイマン型コンピューターから量子コンピューターに変わるような感じなんだろうか。この記事は2年前のものだけれど、今の藤井新棋聖の頭の中の動きは、もっと複雑怪奇でスピードアップした「何か」がぐるぐる回っているんだろうなぁ。なんとかして、可視化できないものだろうか(笑)。
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