2020年7月1日

過ぎたるは及ばざるがごとし

給付金の10万円が配布されて、それに刺激されていつもはやらないことをやってみたり、買わない物を買ってみたりする人が結構居るみたい。この「大人ヤクルト」も凄く気持ちがよく分かります。なぜなら、自分も昔似たような事をやって、やはり同じような気持ちになったから(笑)。

私の場合は、ヤクルトではなく「カルピス」。小学生の頃は、瓶に入ったカルピスの現役を薄めて飲むのが普通だった時代。夏のお中元の時には、何本かは必ず送られてきて、それを薄めて飲むのが子供の頃の小さな楽しみの一つ。当時は、いまのコンビニで売っているロック氷なんてないから、冷蔵庫の冷凍室に小さな製氷トレーを入れて、大きめのサイコロくらいの氷を二つ三つ入れるくらいが関の山。それでも、真夏の暑い時期には冷たくて甘酸っぱくて美味しい飲み物でした。で、普通の時はビールの小ジョッキ位の少し大きめのグラスに作って飲みますが、物足りない感じはいつもの残るんですよね。もっと欲しいけれど、「また明日」の決め台詞でいつもはぐらかされます。ある時、夏休みの時だったと思うけれど、家族が出かけていて自分一人になったとき、何を思ったのか「カルピスを作ろう」と思い立ち、家中のグラスやジョッキに、はては2合徳利まで持ち出して、カルピスの瓶1本丸々使い切って、カルピスを大量に準備。それを一気に飲むという「夢」を実現させたのでした。

ところが、二杯目、三杯目までは良かったけれど、段々と気持ちが悪くなり、多分グラス5~6杯目くらいで吐きそうになり一時休止。暫く休んで再び飲み出したのですが、実は氷が足りなくて最初の数杯には氷を入れていたけれど、後は原液を水で薄めただけの物なので、直ぐに生ぬるくなってしまい、それもあって折角のカルピスはますます拙くなっていきます。結局一口二口含むくらいでギブアップして、気持ち悪さを抑えるために暫く横になって休むほどに。で、少し落ち着いたところで気がつきました。「大量に残ったカルピスを何とかしないと、怒られる」と(笑)。慌てて流しに残った大量のカルピスを捨てて、空いたグラスや徳利を直ぐに洗剤で洗って拭いてから、元の場所に戻す作業にあたふた。何とか家族が戻ってくるまでには、大量に取りだしてきたグラス類を南都かもとに戻して、空いたカルピスの瓶と元気の無くなった自分以外の証拠を隠滅しました(笑)。

この経験から子供心に得たのが「過ぎたるは及ばざるがごとし」という諺。幾ら好きな物、美味しい物にも、限度を超えれば苦痛になるという事を身に染みて感じました。子供だったから「腹八分目」というのはなかなか難しい頃でしたが、それでもお腹の中に入る量には限りが有るし(まだ「大食い」という番組無かった時代)、そうなるとどんなに美味しい物でも美味しくなくなるということと、逆に限られた量頂くから、その美味しさも有難味も感じるんだというようなことを、言葉ではなく実体験として刻み込まれた気がします。その経験は、いまでもこうやって思い出すくらいですから子供心にかなり強烈なものだったわけで、その後学生時代から社会人になってからも、つい調子に乗ってきたときには「まてまて」とブレーキを掛ける切っ掛けになってくれています。それが、色々失敗もしたけれど、致命的なものが殆ど無かった人生に大いに役立っているのかも。加齢とともに、若い頃と比べて食べる量は劇的に減ったけれど、その分美味しいものを少しずつ食べることが楽しみに。それってお酒の摘まみ(アテ)がピッタリじゃんとお酒も一時飲むようになりましたが、最近ではその酒量も激減して、一週間に一回位がノーマルモード。それがいまの「良い塩梅」だと納得しています。健康に優る宝なし、と感じる今日この頃(笑)。

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