2020年6月25日

メディアの変質

共同通信社が、1600人居る正職員を2028年度までに1300人台にする方針という記事。早期退職などでは無く、今後の新規採用欲などの対策で職員数を減らしていく方針らしいけれど、他の新聞社なども早期退職などを募っており、メディア系企業の不況が進んでいる証しの一つであることは確か。

記事の中では、全国の地方紙などに記事を配信する共同通信からの配信記事の、量も質も下がってきているという下りがあるんですが、それには笑ってしまった。まぁ、製品として「記事」の品質や内容が劣化していれば、当然顧客離れもするだろうけど、其れ以前に「新聞社」というシステム、もっと講義の「レガシーメディア」という社会システム自体が、ネットワークなどの広範囲な情報伝搬している現在に追いついていない証拠でもあるんでしょうね。

大体、新聞社やメディアが記事やニュースを作成するときに参考にしているのが、一般視聴者のスマホの写真や映像だったりするわけです。過去にも記事を作成するときに、現場に板人のインタビューとか、周りでの聞き込みなんかをしてから記事を作成していたと思うし、写真にしても、たまたま撮影している場合があっても、そこにフォローアップというか事故後の写真とか自社としての記録も準備して記事にしていた印象があります。でも、今の時代は、ピントや構図がどうあれ、その瞬間とかより刺激的な映像を一般から集めて、それを使用して記事や番組を構成している。それって、本末転倒していないか?

じゃあ、いまのようなネットの時代にどうしたら生き残れるのか。結局、こう言うレガシーメディアが衰退しているのは、自らマーケットのパイを増やそうとせずに、より特異な市場に特化していき、パイの大きさよりも支持率というかロイヤリティの高さを逆に追求しようとしているから、どんどん縮小して行っている気がする。例えば、このメディアは右だ左だと言うけれど、本来メディアは右も左も関係無い「事実」を報道すれば良いだけの話し。それが「真実」という、似て非なる物を氏名と誤解するから、どんどん変質して言っている気がする。それはそれで、その分野の人達には支持されるだろうけど、その分野が広がらない以上は無意味なわけですよね。より多角的な分野の人達を取り込まないと行けないのに、その真逆をやっているのが、いまのメディア各社じゃ無いだろうか。プロとして期待しているのは、そんなことでは無く、より客観的な、そして自分達の考えの基盤になるような「事実」の積み重ねなのに、自分達の思うことを「真実」として積み上げてから、その積み上がっていくいただきの向きはどんどん乖離している。それが、現実のビジネスに表れているだけなんでしょうね。

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