2020年6月25日

人・本・旅

Aviation Wireに掲載されていた、ANAHDが設立した「旅と学びの協議会」の記事。基調講演で、立命館アジア太平洋大学(APU)の出口治明学長が「人を賢くさせる『人・本・旅』」と話したそうですが、個人的にまとめて見ると、外部からの新しい知識・刺激が、それまでの自分を活性化させる、みたいなことでしょうか。

自分の経験に照らし合わせてみると、まずは「本」の存在は大きいですよね。子供の頃、それこそ小学校に入る前位から、本を読むのが好きで、小学校の図書館の本は手当たり次第に読みあさったし、結構お年玉とか貯めて、子供向けの小説(江戸川乱歩シリーズとか好きだった)を買って読みあさったし。ただ、そう言う引きこもり傾向があったのと、人見知り気味だったので、「人」との付き合いは少なかったかも。それでも、学校などでは学級委員には年間3学期の何処かでは毎年指名されていたから、否応なしに人との付き合いはせざるをえなかったし、クラブ活動もずっとやっていたから、限定的ではあったけれど外部との接触もそれなりに有った方だったかも。

肝心の「旅」に関して言うと、子供の頃はそんなにあちこち出かける機会は無かったかなぁ。田舎だったこともあるし、祖父母に結婚前の叔父叔母も居た「大家族」だったから、両親は共に仕事をしていたけれど「裕福」という感じは無かった。ただ、母親が農協の積立みたいなことをやっていて、結婚以前は地元の観光バスのバスガイドだった伝を使って、年に1回か2回近所のママ友達と一泊二日とか二泊三日の良好に出かけていて、その時には自分達のような子供も一緒に連れて行かれたから、それがいまの「旅付き」の原点であることは確か。いまにして思うと、姑や日々の雑事からの本の短い息抜きだったのかもしれないけれど、幼稚園の頃から小学校卒業くらいまでずっと続いた毎年の旅行は、子供心にも楽しかったですよね。そんなに遠くには行かずに、東は熱海とか小田原くらいまで、西は三重とか名古屋当たりくらいだったように記憶しています。そうそう、その旅行じゃ無いけれど、前回の大阪万博に日帰りで行ったりもしたし。さらに言えば、高校生時代に怪我をしたことかクラブの主務みたいな事をやるようになって、そこで遠征とか合宿の準備や段取りをするようになったのが、後にFFP/FSPを活用して自分で旅程を組み立てて出かける下地になったのは確かだよなぁ。

本格的に旅にでるようになったのは、社会人になって海外出張をするようになってからですが、この経験から得たものの大きさは言葉にならないくらい。人生観が変わったのは、最初の出張の時だし、翌年半年以上長期滞在して、もう人生が決まった感じ(笑)。物事に対しての考え方とか、相手(=アメリカ人)との交渉の仕方とか、外国人と共同作業するときのノウハウみたいなものとか、いまに至って自分の「武器」と言えるような経験や能力は、この時からの経験が無いと絶対に得られなかったもの。それは、自分なりに知識も豊かになったと思うし、自分なりに成長みたいなものを感じることが出来るし、クレジットカードのCMじゃ無いけれど「Priceless」な物を、それこそ「Countless」な位得ることが出来ましたからね。昨今の状況から、なかなか外に出られない時期が続くし、これからも制限が残るでしょう。その為、ネットワークを通して「仮想観光旅行」みたいな事も流行っているけれど、個人的にはやはり実際に足を運ばないと魅力は半減だと思う。なんと言っても、五感全てに感じることが「旅」の一番重要なことだと思うから。ネット経由では、しかくとちょうかくは満たせるけれど、触覚に嗅覚に味覚は満たされない。そう言う物全てを刺激することに、旅することの醍醐味が生まれると思うし、それが掛け替えの無いものとして自分に戻ってくることは確実だと言えますからね。

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