アメリカでは、黒人男性が逮捕行動中に無くなった事件が、未だに尾を引いていて各地でのデモのみならず暴動に近い状態が収束する気配が見られませんが、日本でああいう光景を見たのは、自分の記憶ではもう50年位前が最後かなぁ。色々騒動はあったと思うけれど、60年安保闘争(これは、流石に小さすぎて当時の記憶は無くて、後からの知識でしか覚えていない)や、その後の70年安保闘争が、最後の大規模争議行動じゃないだろうか。
当時の映像を見ると、特に60年安保闘争はもう国内暴動みたいな感じですよね。今ほど、責める方(全学連等)も、守る方(警察)も「腕尽く、力尽く」で退治する時代だったか、一旦ぶつかるともう収拾が付かない。70年安保闘争も大きな争議になったけれど、結局国民が余りの酷さにそっぽを向いて支持を得られなくなったのが、その後のそう言う勢力の衰退に繋がったし、余りに影響が大きくて社会生活にまで大きな影響が生まれたから、以後そう言う行動に対しての指示も得られなくなったのが、日本の状況だと思います。
アメリカの場合も、発端の黒人男性逮捕に関しては、確保の方法(首に脚を置いて窒息させる)は行きすぎだと思うけれど、後から黒人男性の犯罪歴や逮捕した白人元警察官と確執があったみたいなこともあり、正直個人間の仲違いがエスカレートしたようにも感じます。それが「BLM」と大きな運動になってしまったのは、これまでのたまった鬱積も有るだろうし、新型コロナウイルスでストレスが溜まっていることも大きいと思うけれど、やはり何か別の理由があるようにも感じます。その後、アトランタの事件でやはり黒人男性が射殺されたけれど、あれは抵抗しつつさらに奪ったティーザー銃を使用した男性側の方の非が大きいと思うなぁ。あれが、白人男性がティーザー銃を使用したら、黒人警察官でも射撃をして防衛動作をすると思う。先ずは、アメリカは銃社会であり、誰もが護身用も含めて銃器を所持している社会であり、だからこそ時には過剰防疫とも言われるけれど、自己の安全確保に関しても慎重かつ厳正であることを理解しないと行けないと思う。
さらに、シアトルでは自治区まで出来ているらしいけれど、それは完全に別の行動でしょう。「BLM」として、黒人国民の地位向上を訴える事は全く正しいと思うし、正当な権利だと思うけれど、その手段として勝手に「自治区」をなのに、無秩序を許可することは全く違うことだと思う。ニュース等では、現地の市長、州知事が民主党系で、共和党系のトランプ大統領の再選阻止も狙っているという話ですが、それが単なる憶測とも思えないのが、今のアメリカの状況じゃないだろうか。社会不安を解消することは必要だけれど、社会不満を増長させて社会変革を進めようとすることは、それは内乱だったりテロ行為だったりと変わらないと思う。日本でも、BLMを主張するデモ活動が実施されたけれど、そこには本来有るべき人種を理由にした差別行為撤廃という本来の目的以外の意図が垣間見える点では、暴動行為こそ無いけれど、同じような胡散臭さを感じますね。そう言う懸念を抱かせてしまうと言う部分において、今回の日本でのデモ行動は本来の意図の遡及も不十分で、実質失敗したとも言えるんじゃ無いだろうか。
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