2020年6月5日

「民度」の基準点

麻生財務大臣兼副総理の、またまたお騒がせ発言。参院財政金融委員会で、新型コロナウイルスによる死亡者数が、他の先進国と比べて日本は二桁近く少ないことを問われて、「国民の民度のレベルが違うと言うとみんな黙る」と発言して、これが物議を醸すことに。まぁ、言いたいことは分かるけれど、言葉というか語句の使い方として「突っ込んで下さい」というのは確か。実際、立憲民主党の蓮舫氏は、噛みつき亀のごとく、この発言に噛みついているけれど、正直彼女の言い方も「民度」を感じるなぁ...

そもそも「民度」とはどう言う意味かと調べたら、
民度(みんど)とは特定の地域・国に住む人々の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる。明確な定義はなく、曖昧につかわれている言葉である。
と書かれています。今回の件で言えば「民度=行動様式のレベルが違う」という意図だと思って間違いないでしょう。なぜなら、他国はロックダウンまでして行動を制限したけれど、日本は法律上それが出来ないので空くまで「要請」レベルしか出せなかったけれど、結果的には他国よりもかなり少ない死亡者数を維持しているわけですから。まぁ、それならそれで「他国よりも国民の行動様式理解のレベルが違う」と言えば、波風立たなかったのだけれど。

メディアも含めて「民度」という言葉に一斉に反応しているけれど、何故そんな反応が出てくるのか自分なりに考えてみたんですが、それはこの「民度」という言葉がこれまでその国その国民の格付けをするときに使われる言葉で、しかもどちらかと言えばその格付けが低い事を言うときに使われる、否定的なあるいは侮蔑的な意図が隠れた使われ方をしてきたからなんじゃ無いかと。例えば、社会的ルールを守らない、行政に不正が多い、みたいな場合「民度が低い」という言い方をするけれど、それは空くまで日本のルールを基準にした場合に、そのルールの許容範囲からどれだけ外れている、異なっているかが「民度」の格付け基準になっているわけで、実際に「民度」という絶対的な尺度があるわけじゃない。「民度=民の度合い」と書くけれど、そのサンプリングだってどうするのか。整然と国民が生活しているという意味であれば、強権的な統治が行われている北朝鮮などは「民度は高い」と言っても良いわけだけれど、でもそれに同意する一はどれだけいるか... 正直、「血液型別性格傾向」とか「星座占い」的な、一種の分類というか格付けに近いものじゃ無いかという気がします。

確かに、新型コロナウイルスは東アジアでの被害は少なくて、特段日本だけがずば抜けて感染の影響から外れているわけじゃ無い。「新型コロナウイルス」という物理的な存在によって発生している病気なのだから、某かの物理的な要因理由があるはずで、それがBCGなのか、無意識に感染していて獲得していた免疫抗体なのか、あるいは人種的な物なのか、それは今後の研究を待つしか無い。さらに、日本人が普通に着用するマスクの効果とか、うがい・手洗いの効果、さらには土足文化が無い事など、少なくとも欧米との違いは大きいから、それが影響している可能性はあります。そう言う意味で、G7等の欧米諸国に対して、向こうよりもそう言う文化的な物、行動様式的な物で一層レベルの高いところに日本があると言う意味であれば「民度のレベルが違う=高い」と言う事は、ある意味正しいとは思う。ただ、「民度という言葉は、発展と自用国などに対して使う侮蔑語に近いもの」みたいな認識のある、例えばメディアとか揚げ足を取りたい野党議員にとっては、まぁある意味「美味しい」一言だったことは確か。それを「麻生節」というのも良いけれど、やはり立場を考えたら相手に突っ込まれるような言葉を使うのは駄目だと思う。でも、その意図を都合の良いようにねじ曲げて攻撃に使う方も、同じくらい「駄目」だとも思うけれど。いずれにしても今回の「民度」という言葉を聞いて、「相手よりもさらに日本は高い」と思うのか、「相手が日本よりもっと低い」と思うのか、その判断基準でその人の思惑というか立ち位置が何となく分かる気がする。

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