2020年6月30日

それこそ「差別」では

アメリカでは、アニメのアフリカンアメリカンキャラクターを吹き替えていた白人の声優さんが、「自分は適切では無い」として、非白人のキャラクターには、同じ非白人の声優さんが今後アテレコするようになるらしい。何百年という歴史的背景のある話なので、アメリカではそれがいまの「常識」かもしれないけれど、日本に居る身としては何とも過剰反応としか言いようのない行為。BLMの元々の主張は理解するし尊重するものの、それがどんどん変質していって、結局は敏感な話題に「触れないため」に回避するような話にどんどんブレている気がする。

例えば、声優という職業に「白人しか付けない」世界であるなら、それは差別だから非白人も声優という職業選択の自由を認めるなら分かるけれど、決してそうじゃない。これが、舞台とか映画などで、白人の俳優さんが肌の色を変えて(着色して)非白人として演じるのは怪しからん、と言うのであればまだ少しは理解出来る余地もあるんだけれど、声優さんつまり「声」には肌の色は関係無いはずなんだけれど。勿論、それぞれの社会背景、生まれてからの経験で、独特の言い回しとかイントネーションとかあるかもしれない。でも、それを言い出したら、出身地が異なる声優がアテレコするのは怪しからんみたいな話にもなるわけで、ますますややこしい話に。アニメキャラクターの「人種設定」はあくまでそのアニメの中の世界の話なのだから、そこにアテレコする声優さんの人種設定まで合わせる必要、正直言ってないと思う。じゃぁ、LGBTQ+の場合も、それに合わせないといけないの、と言う話になってしまいそう。

この話を聞いていて思いだしたのが、アメリカの銃社会の話。アメリカでは、必要な手続きを踏めば、誰でも銃を購入すること可能で、それにまつわる犯罪も実際多い。何度も銃規制の法律の話が出てきても、なかなか日本のように「銃刀法禁止」というレベルには進まない。と言うか、全米ライフル協会のように、政治に対して大きな勢力を持ちさえしているし、「銃保持は、建国以来の権利」として頑として譲らない。日本人の感覚からしたら、そう言う危険な物が支柱にあるから犯罪が減らないし凶悪化すると思うけれど、逆にアメリカ人から見れば、そう言う危険な状況に対処するためにも銃は必要というロジックになり、何やら鶏と卵の論法に陥ってしまいます。日本の場合も、明治維新という混乱の中で全国的に刀狩りをしたから何とか出来たんだろうけど、例えばその後の社会状況の中で、誰もが刀を護身用として主治している時代に同じ事をやろうとしても、なかなか難しかったかもしれない。後になればなるほど、近代になり個人の権利が言われるようになればなるほど、既存のシステムを変更するのは難しいですからね。

少し前に今回の様な人種差別問題が生まれたとき、白人系の人が自分のDNAを調べてみたら、祖先に非白人(黒人)のDNAが混ざっていたことがわかりショックを受けたみたいな話がありましたが、結構アメリカの場合開拓期時代に色々な理由から混血というか人種の混在状態が生まれていたことは事実みたい。だから、「自分は白人」と言っても、実は調べてみたらアフリカンの血が混ざっている事がかなり多いんじゃ無いだろうか。そうなると、見た目で「白人・非白人」という区別することが「差別」になるわけで、何かどんどん自己矛盾を抱えて煮詰まっていくような気がする。

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