2020年5月30日

大本営発表なのか?

共同通信が、こんな記事を掲載しているのだけれど、これって「もっと病院内とか取材させろ」という暗黙の要求なのだろうか。しかも、理由として挙げられている事例が、何とも情けない話で、

  • 「政府から『医療崩壊』と書くなと要請された」
    日頃「権力の監視者」とか言っているのに、要請されたら自粛するの? 本当に嫌疑とか疑問があるのなら、取材とか調査して事実を明らかにするのが「メディア」の仕事なんじゃないの? これって、自ら自分達の仕事を放棄していることの証明ですよね?
  • 「政府や自治体首長の表現を検証もせず垂れ流している」
    これも上と同じで、なんでその表現を検証しないの。それが自分達の仕事でしょ? 検証出来ない理由は何? 政府や事態主張からの「要請」なのか、それとも自分達が仕事をしていないだけなのか。なんでこれが理由になるのか分からない。
  • 「記者会見が入場制限されている」
    感染対策で記者会見の人数制限がされていたり、一人一人のスペースが取られていて以前のような状態での記者会見が開催出来ない事は事実だけれど、それならそれでリモートでの参加を要請してみるとか、やりようはあるんじゃ無いだろうか。それに、「記者クラブ制度」があるんだから、どうせ横並びの質問しかしないのだろうし、そう言う意味では記者会見の参加人数の多い少ないよりも、誰が参加するかの方が重要な気がする。
今回の新型コロナウイルス関連の報道を見ていると、政府の戦禍会議からの発信であったり、SNS等での有志による発言に対して、テレビとか新聞などのメディア発の配信は、どうも扇動的というかその重大性とは別に、キャッチーな意見とか刺激的な内容が優先されていたような気がする。しかも、特定の意見に固執して、他国に比べてPCR検査数が足りないとなると「PCRを増やせ」の大合唱をしたり、治療薬の候補が見つかったとなると、それを早く使えと無責任な主張を続けたりと、全ての報道がバラエティー化しているような印象でしたよね。

危機感の理由として「感染防止のために現場取材が出来ず」と書かれているけれど、リソース不足で緊急事態の医療現場にそんな余裕は無いだろうし、そこで見つけてきたのが医療経験も無い「なんとかジャーナリスト」では、現場からも見放されて当然では。素朴な疑問として、そう言う現場への取材記者は、医療知識とか持った科学系医学系の記者がちゃんと派遣されていたんでしょうね? 政治部とか社会部とかの記者が、いつものノリで現場へ行って取材できると思っていたんじゃ無いでしょうね? 今思い返してみると、芸能記者が戦場に取材に行くような、場違いさしか感じられなかった気がするなぁ。

記事の最後には、
MICは「大本営発表に染まった戦前の報道の過ちを繰り返してはならない」とまとめている。
とまとめて居るけれど、今は立場を変えてメディア側が自分達の都合のよう情報、自分達の進めたい方向性の報道を意図的に流している、「大本営発表」的な方向に流れていないか。 戦中の「大本営発表」は、その情報源しか無かったから、誰も検証出来なかったし、疑うことも許されなかった。でも今は、幾らでも手段はあるわけだし、今回の件に関して言えば、自分達の都合に合わないことを「大本営発表」と勝手に言い訳をしているだけで、それって単なる努力不足、力不足、言い訳でしか無いと思う。そう言う反省というか振り返りが無いから、今のメディアは信用されないし、極々一部の支持者に向けての報道を傾いていくので、その内容もどんどん偏向しているのだと思う。

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