2020年5月30日

議事録がブーメラン

元々は共同通信の記事が発端らしいけれど、専門家会議の内容が「議事録」として残されていないとご不満な、立憲民主党の蓮舫議員。ところが、「議事概要」と資料は公開されており、しかもそれは民主党政権時代に作成された公開ルールに則るものと判明して、特大ブーメランがまた炸裂した様子。

どうも共同通信の記事などを見ると、その会議での逐一の発言を記録したものを「議事録」と称して居るみたいですが、普通に会社などで会議やミーティングを開催して、その後参加者や関係者に配布する「議事録」は、その会議の日時や参加者に会議の内容をまとめたものに、その会議での結論や合意事項、またあるならば次の予定や課題などをまとめたもの。所謂会議の「文字おこし」では無く、効率的に会議内容の集約したもので、言ってみれば参加者の共通認識を表したものを一般的には「議事録」と言っているし、それは政府の場合は「議事概要」と称しているらしい。そりゃぁ、一人一人の発言内容まで詳細に記録しようと思ったら、速記者を何人も参加させて、場合によっては音声記録も取ってから文字おこししないと不可能。そこまでのリソースもコストも無いだろうし、正直データだけ残せば良いというのでも無い。要点を要領よくまとめられたものだからこそ、後日利用しやすいし、その情報も効率よく活用できるわけだし。

大体この人達は、東日本大震災の時や福島の原発事故の時の記録を残していなかったんじゃ無かったっけ? その反省もあって、野田政権の時に議事録や議事概要のルールを決めて、それが今でも生きているという話しでは。それなのに、それがおかしいというのであれば、先ずは自分で自分の首を絞めて反省したから発言しなきゃ(なんじゃそりゃ)。大体この立憲民主党のサイトを見る度に思うのだけれど、あれだけ「なんとか調査チーム」とか「タスクチーム」を作りながら、その途中報告とか最終報告に経過報告等の文書類が見つからないのは何故。付け焼き刃的に、行き当たりばったりにその時その時の思いつきをやっているだけだから、継続的に何かやるという事が無い。いゃ、政権に対しての「ネタ」だけは、何年もしつこく継続しているけれど、それだって何か新しい材料が見つかったからとかじゃ無くて、それ以外に出来る事が無いから昔のネタを使い回して何度も繰り返しているだけ。本当、その才能だけはあるから始末に悪い。

政治家、というか、大なり小なりのチームやグループのリーダーに必要なのは、そのグループの牽引役として首尾一貫した主張(リーダーシップ)と、常にその方向性を検証しつつ、修正が必要なときにはグループメンバーに対して躊躇せずに十分な説明と新しい方向性を示すことが出来る柔軟性だと思うんですよね。旧民主党議員に関しては、少なくともその後者に関しては何もやっていない。唯一例外的には、例えば細野豪志議員とか、最近離党した山尾志桜里議員とか、呪縛が解けたからなのか政党に愛想を尽かして離党したからなのか、その主張には頷けることが多くて、一体何が理由なのか。翌彼らは、与党の旧態依然とした体質という言い方をするけれど、革新とか民主的と言っている彼らにしても、そのかけ声とは裏腹に、何か凝り固まったものが内部にあって、それ故にそれに合わせざるを得ない不自由さというか弊害があるんだろうなあ。事情は色々あるにしても、これまで散々ブーメランを経験しているのだから、まずは相手に噛みつく前に少し自分達の事を振り返って確認するくらいの学習効果が生まれても良いと思うのだけれど。そう言う一寸したことを反芻する事すら、もう消えているんだろうなぁ。

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