2020年5月4日

違和感を感じる主張

劇作家の平田オリザ氏が、新型コロナウイルス対策の「三密」のために、演劇や舞台活動が中断されて、多くの文化活動に影響がでていることを訴えるも、「後から回復できる製造業よりも、文化活動はそうはいかない」と、ちょっと余計な一言を言ってしまい炎上している件。私も最初聞いた時は「なんだそりゃ」と思ったけれど、実際のインタビュー記事を見てみると、ちょっと事情が違う。当該部分は、
製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている。観光業も同じですよね。部屋数が決まっているから、コロナ危機から回復したら儲ければいいじゃないかというわけにはいかないんです。
[2020年5月4日17:45追記]あーあ、この部分段落まるごと削除している。NHKの判断なのか、平田氏側の要求なのか不明だけれど、こう言うのこの件に限らず一寸卑怯だと思う。せめて、当該箇所は取り消し線で消して、「〇〇の理由でこの部分は取り消します」とか「△△と修正します」というべきでは。でないと、憶測がさらに変なハレーションを生んで、ますます本来の議論の筋がわちゃくちゃになるわけだし。もっとも、仮に何か理由があってその部分を取り消しても、それを許さずにアーでも無いコーでも無いと続ける人達がしつこいのは、先日の岡村隆史氏の発言問題でも明らかだけれど。「お互いに共通点、異なる点を認識して、それぞれを尊重する」というのが議論のゴールだと思うのに、結局は「相手を論破する」事がゴールだと思ってしまうのが間違いだと思う。

つまり、宿泊業は「客室数」を超えて宿泊を売ることは出来ないように、演劇・舞台なども劇場数や座席数が上限。やり方次第で、幾らでも販売個数を増やせる製造業とは違う、ということを言いたかったんだろうな、と。言わんとすることは理解出来るんですが、その製造業だって新型コロナウイルス後に倍作れば倍売れるとは限らない。逆に、外出禁止で購買意欲が下がってしまい、規制解除後も購買力は復活しないかもしれない。文化関係のビジネスだって、ネットを利用していろいろと工夫している人も大勢居る。大人数でそれなりのスペースを利用して行う、演劇とかはなかなかネットでは活用しづらいのかもしれないけれど、それでも何か工夫はあるのでは。例えば、有名な舞台のシーンを解説するとか、役者さんの過去の舞台の思い出話をするとか。

彼のインタビューでもう一つ引っかかるのが、文化継承が途絶えると言っていること。製造業だって、技術継承が出来なければ未来は無いし、実際海外に製造業が進出したため国内の空洞化が問題になったことは最近の話じゃ無い。で、たまたまこの話を見聞きしていたら、この方、民主党時代(鳩山内閣)に内閣官房参与に就任していたんですね。鳩山氏の所信表明演説作成に関わり、令の有名(悪名?)な「コンクリートから人へ」の話を入れ込んだ人らしい。察するに、それまでの箱物行政よりも人材育成という方向性だったんだろうけど、それが変に曲解されて公共事業は悪だから事業仕分けを、みたいな話になり、さらにその様子が「悪を倒す正義の味方」的な演出がされたから、当時予算を削減されて、その後困ったことは沢山ある。未確認だけれど、当時感染症対策の予算も削減されていて、それが今回の蔓延の遠因になったとも言われているらしい。

その平田オリザ氏の発言で、「他者に寛容な社会に」というタイトルの記事があったんですが、出だしの一文に違和感。
見えない敵を前にして理性的な判断ができなくなっていると感じます。パニック状態になると、反知性主義みたいなものが非常に露骨に現れてきて疑心暗鬼がまん延します。
多分、「世界中が」と質問されたからこう言う言い方になったのかもしれないけれど、少なくとも日本ではパニック状態にはなっていないし、「反知性主義」が表れているとはどう言う意味なんだろうか。その後のインタビュー内容を見ると、 デマ情報に惑わされて文化・芸術・教育を省みない人=反知性主義、という括り方をしているように見える。よく「反知性主義=知性が無い人の主義主張=意味の無い主義主張」みたいな使われ方をしているように感じるんですが、実際の意味は知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場を取る主義主張。その後で、「専門家の知見に対する尊敬と信頼が失われている」とは言っているけれど、パニック状態にり理性的な判断が出来なくなる、と言うのなら分かるけれど「反知性主義みたいなもの」という言い方は適切では無いよと思う。全体として、芸術畑の人の立場の弱さを代弁するのは理解出来るんですが、そこにこの方の何か理想主義というかご自身の思想的な匂いが感じられてしない、逆に胡散臭いような抵抗感を個人的には感じてしまう。「文化・芸術」と言うと大層な物のように思うけれど、根本はもっとシンプルで基本的な物じゃ無いだろうか。「製造」と言うと大きな機械設備をイメージするけれど、その根本はお祖母ちゃんの針仕事だったり、職人さんの微妙な蚤使いだったり、シンプルなことのように。

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