2020年5月29日

誹謗中傷

リアリティ番組に出演していた女子プロレスラーが、SNS等からの誹謗中傷が原因とみられる理由から自殺した事件以来、行きすぎた誹謗中傷行為を諫める意見が大きくなるのは良いのだけれど、逆に何でもかんでも「誹謗中傷」と言いくるめて、相手の批評や反論まで封鎖するような流れも生まれてきて、正直なんだかなぁと言う気分。中には「#政権批判は誹謗中傷ではない」というハッシュタグ祭りも登場していて、確かに政権批判は厳しくあれとは思うけれど、「批判」と「誹謗中傷」は全く別物である以上、その対象が政権に対してという事であっても、誹謗中傷は許されるものでは無いと思います。

仮に、政権に対して誹謗中傷が許されるとしたら、その理由は何だろうか。一つ考えられるのは、「政権」という権力者であるから、通常以上の意見・批判は許されるだろうから、その中に誹謗中傷が含まれていても問題ないという事なんだろうか。でも、その権力者を選択したのは誹謗中傷している国民な訳で、不満があるなら「選挙」という正当な手段で批判すれば良いだけの話し。「〇〇という政策は間違っているから、次回の選挙では△△党に投票しよう」というのは、全く正当な意見だし誹謗地優勝でも無い。でも「〇〇という政党は間違っているから、××党は直ぐに死ね」などというのは、主張は理解出来ても、そこで示されている行為は間違っている。逆に、過去国会議員による個人に対しての誹謗中傷と思われる書込とか発言が幾つもあったけれど、それに関しては有耶無耶になって終わってしまう。随分と都合の良い「誹謗中傷」だと思うけれど、SNSに寄って意見発露の閾値が大きく下がったために、それが日常的になっていることも事実であり問題だと思います。

「誹謗中傷」以前に、面と向かって会話するわけでは無いSNSの世界では、その人の性格がやや過剰にと言うかバイアスが掛かって反映されるように感じるわけで、そう言う意味では気楽さもあるんだろうけど、SNSの世界では言葉が「軽くなる」傾向があり、それが一寸したことで閾値を飛び越えて強い口調になったり罵声になったりする事が多々あるんじゃ無いかと。リアルタイムに会話が流れて、リアルタイムに書込が出来るから、つい思ったことが、多分頭の中でまとまる以前にキーボードを叩いて入力してしまうんじゃ無いだろうか(笑)。BBSの時代なら、通信代節約のために、まとめてデータをダウンロードして、オフライン読み、オフライン書きが当たり前だったから、多少は頭を冷やして会話や討論を理解する余裕があったけれど、今はそんなこと無いですからね。記事の投稿ボタンに細工をして、投稿しても15分位保留しておいて、15分経過したらその書込を再表示して「本当にこの内容でOK?」とか確認させるような機能が出来たら、多分今の荒れたSNSの世界の半分以上は平和になる気がする。

ある人の書込で、誹謗中傷を書き込んでいる人は自分が誹謗地優勝していると思っていない、という意見があり、なるほどなぁと思わず膝ポンしてしまったけれど、そうなんですよね。多分言っている人は、相手が理解していないから一寸強い言葉で言わないと理解しないとか、正義のためなら有る程度(※実際は有る程度以上なんだけれど)以上の事は許されるみたいな、変な正義感もあってなかなかご本人が理解したり認識する事はないのが問題。そのくせ、同じ言葉を自分に向けられると「誹謗中傷」と反論するのだからちょっとなあ... もう一つの理由は、SNS以前なら広く拡散する媒体は、テレビ、ラジオ、新聞・雑誌位だったから、それなりに発言も抑制されていて、誹謗中傷というのは殆どが「個人対個人」の事象でしか無かったもの。それが、SNSにより、一気に「個人対多数」とか「多数対多数」の事象が生まれて、それが全国的世界的規模で発生するわけだから、もう歯止めがきかない。結局は、そう言う背景を理解した上での情報リテラシーの有無に帰着する問題何だろうけど、殆どの人はそんなことは意識していないだろうし、使用ともしないのが問題というか課題というのか。結局は、これまでは発言する側の対応が要求されてきたわけだけれど、今後は対象者側でブロックするとかミュートするとか、スクリーニングして行かなきゃいけない。さらに問題なのは、そう言う行為がますます発言者の気持ちや動機に火に油を注ぐ行為になってしまうことが多くあること。結局は、「ネットポリス」みたいな権力の介入を待つしか無いのかなぁ。でも、それって元々のネットの意義を否定する行為なわけだし。難しいですねぇ...

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