2020年5月11日

意図的拡散の意図

ここ数日、突如トレンドに上がってきた「検察庁法改正案」。Twitterで何百万とツイートされたと、大手メディアもこぞってこの話題を取り上げているけれど(毎日新聞朝日新聞NHK)、その多くはbotあるいは何かツールを使用して機械的にツイートしていると思われるもの。以下略ちゃんが、ちゃんとその背景を説明してくれていますが、短期間に集中して特定のキーワード(タグ)を集中的に書き込むことで、あたかもその話題(タグ)がトレンド(話題)になっているかを装うこと。これにより、例えばその話題が注目されたり、通じよう以上に広く拡散されたりしますから、よく使えば重要な情報を短時間で広く拡散できるけれど、悪く使えば有りもしないデマを一気に拡散することや、虚偽情報を拡散して特定の人や組織を貶めるような犯罪に近い事も可能になってしまう。だから最近ではそう言う行為は禁止されている。

で、実際の投稿を見てみると、同じ内容での連続投稿は出来ないため、例えば「1」「2」「3」とか、「あ」「い」「う」とか、無意味に数字や文字を変えつつ連続投稿している物が多い。結果的に、本当にそのタグに対して真摯に意見を書き込んでいる投稿も含めて、殆どが無意味な投稿に埋もれてしまい、単に「300万」とか「400万」という数だけが残り、それだけが評価される結果に。それって、声の大きい方が正しい、力の強いものが正しい、お金を持っている人の方が偉い、見たいな事と同じ事では。勿論、元々そう言う事を考えて無意味に機械的にツイートを画策している人が一番責任があるのですが、そう言う背景や状況を知ってか知らずが、大手メディアがこの件を取り上げて、しかも単に最終的な「ツイート数」だけを取り上げている。その多くは無意味なデマツイートだろうし、中には議論として賛成を書き込んでいるツイートだってあるでしょう(タグは、その話題に関連している話題という意味であり、そのタグを使用しているから全ての意見が反対でも無いし賛成でもないし、中には中立の意見もあるでしょう。そう言う重要な事を一切無視して、いかにも反対意見が何百万もあったという姿勢で伝えるメディアの責任は、今に始まったことではないけれど罪深いと思う。大体、この話は、2月終わりくらいから既に新聞記事などにも取り上げられていて、3月頃にもそれなりに紙面とかメディアに登場しているのに、その時にはこんな騒ぎにはなっていない。さらに言えば、この改正法自体は2008年に始まり、2010年に審議が始まったもの。まぁ、旧民主党のブーメランとは言わないけれど、その間何やっていたのとは言いたい気分。少し前に、黒川東京高検検事長の定年問題があったから、急に注目され始めたのかもしれないけれど、急にタレントさんとか著名人まで巻き込んで騒ぐ動機が見えない。


この一連のスレッドで、衆議院のサイトに掲載されている三権分立図(上)と、首相官邸のサイトに掲載されている三権分立図(下)で、国民と内閣の関係が違うと物議に。確かに異なるんだけれど、実は内閣と国民の間の関係って、他の国会、最高裁との関係のように、直接行使できる手続きが無いんですよね。「世論」とあるけれど、これってある意味「雰囲気」な訳で、定められた手続きがあるわけじゃ無い。地方議員とか首長のように、大臣に対しての国民リコール制度があれば、それが世論に取って代わるんだろうけど、今はそう言う手続きは無い。逆に、ふわっとした「世論」が内閣に影響を与えることはある意味危険なことでもあるわけで、この「世論」と書いてあるけれど、実体は「メディア」とかになるわけです。特に最近のメディアは、自社の主張でバイアスを掛けていることも多いわけで、これを手続きするのは凄く危険。それこそ良く言われる、ナチスのやり方じゃないのか。また、官邸の図の方も、ここだけ行政府から国民へのベクトルになっていて、これも違和感を感じる。結局、今の日本は議院内閣制で、三権は分立しているけれど、内閣は国会の信任(≓決定)で決まるので、そう言う意味では、「国会」と「内閣」は点線でひとまとめにされて、そこに対して「国民」が「選挙」で手続きする、というのが現実的なのかも。いずれにしても、twitterのトレンドなんていう、ふわっとした瞬間的なトレンドを、「民意」とか「世論」とすり替えてメディアが報道するのは、上の図の「世論」の乱用では。以下略ちゃんが「スパム・ロンダリング」と名付けているけれど、まさにレガシーメディアがスパム(擬情報)の洗浄元になって、出てきたものを正しいものとして報道するのは、殆ど犯罪行為だと思う。仮に、それに気がつかなかったとしたら、メディアとしての能力不足なんだから、事業そのものを畳むくらいの危機感を持たなきゃ。

考えてみたら、この図はアメリカのように「大統領制」ならしっくりきます。行政府は、国民の選挙で選ばれた大統領によって組織されるわけで、その場合は「国民」から「内閣」に「選挙」というベクトルが定義できます。日本でも、「内閣総理大臣」は国会議員で無ければならないから、そう言う意味では国民によって「選挙」で決定されるとも言える。総理大臣以外の国務大臣は、民間人の登用も可能なので、必ずしも選挙で決まるわけでは無いけれど、そのトップが選挙で選ばれた国会議員なので、実質的に選挙結果で決まるとも言えるかも。その部分は、アメリカの大統領制だって、大統領と副大統領は選挙で決まるけれど、それ以外の国務大臣は任命方式ですし。そう言う意味では、どちらの三権分立の図も間違っているというか、実状を反映していないし、そう言う意味では「元々の意図は項だけれど、今の日本ではこうなっている」と説明するのが正しいのでは。そう言うことを知ってか知らずか、単に曖昧な部分をことさら際立たせて拡散するのは、やはり何か意図があるのか、あるいは全く無知なのか、どちらかなんだけれど、どちらも質が悪いという意味では同罪かも。

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