2020年4月11日

テストケース

感染拡大が泊まらなくて、日に日に患者数が増える中、もっとPCR検査数を増やせと言う話を、あいも変わらずに声高に主張するコメンテーターとか著名人の皆さん。「言うは易しだよな」と、ちょっと最近は怒りすら覚えるんですが、多分開発活動に関わったことのある人なら、そう言う感情は理解出来るのでは無いだろうか。つまり、製品開発の過程では、色々なテストが実施されて、それによって製品の問題点を洗い出して、改善や修正をして、最終製品に仕上げていくから。テストのやり方や内容は、その製品の種類によっても異なるけれど、基本的な事は、その製品の機能や問題点を洗い出せるテストケースを予め準備して、それを実行して結果を見て、期待値通りで無ければその原因(テストケースの不備、繊維品の問題、それ以外の何か)を解明して、必要なアクションを取るというサイクルを回していくもの。

この中で難しいのが、より効率的に問題点を検証出来るテストケースを準備する事なんですが、この時テストケースの件数を最少化することも重要。テストする対象の製品が潤沢に準備されることは、コストの問題から先ず有り得ない。またテストケースを実行するテスターの人数だって限定されている。テストケースを増やせば、確かにカバレッジは大きくなるかもしれないけれど、それが現状のリソースを超えたものになってしまっては、文字通り「絵に描いた餅」なわけで無意味。だから、テストをする人の腕の見せ所は、どれだけ効率よくテストケースを準備・実行して、必要十分なカバレッジを満足させるかという事。

ただ、こう言う場合得てして起こるのが、偉い人の鶴の一声で「なんでこんな問題が、こんなタイミングで見つかるんだ。アクションプランを出せ=テストをもっとやれ」という話になること。そりゃぁ、問題が発生したエリアのテストケースを増やせば、その部分の問題発見は早くなるだろうし、さらに見つからなかった新しい問題も見つかるかもしれない。その見つかった問題が、実は致命的な問題で有った場合もありますが、実はそんなに深刻度が高くない問題だったりもす。困るのは、そう言う深刻度が低い問題が見つかったことで、新たに追加されたテストケースやそうやって増やされた事が「正当化」されてしまうこと。問題は問題何だけれど、実際の使用や機能に影響ないような物まで見つけて対策する事は、その分余計なリソースを消費することで、逆に本来筆無いテストまで手が回らなくなる可能性も。それによって、元々最適化されていた本来のテストケースの信頼性やカバレッジが下がってしまい、本来見つかるべき見つけるべき問題がすり抜けてしまう可能性すら生まれてしまいます。それが、まさに今回のPCR検査の無秩序な増加要求だと思う。

大体、ボトルネックは、一つ一つの検体を検査する検査技師の数(=労力)な訳で、それが増えない限り検体の数が増えても処理しきれない。しかも、それなりに技術と経験が必要な職種だから、単に頭数だけ増やせば解決する問題でも無い。テレビのワイドショーなどで、無責任に検査を増やせと言っているコメンテーターやタレントを見ていると、「じゃぁ、あなたの仕事量が今の何倍にも急に増えて、一人で賄いきれなくなったときに、若手タレントやスタッフを足りないところに補填して、それで自分がやる場合と同じクオリティが出ると思うのか」と聞いてみたい。よく韓国の場合と比較されるけれど、韓国は以前のSARSの経験があるから、日本よりもリソースがあるという事で、彼らだってそれを超えての検査は出来ない。「増やせ」というのであれば、ボトルネックがどこで、それが解決可能か確認しないと、要求する方も受ける方も単なる無責任のそしりは免れない。だから増やすよりは、どうしたら寄り効果的効率的に現有リソースで解決出来るのか、そちらを考えることを言うべき何ですよね。自分達の思いつきだけ言いたい放題言うことが、問題解決には絶対繋がらないし、それが逆に問題をややこしくして解決から遠ざけることをもっと深刻に考えて欲しい。と言うか、テレビのワイドショーなんて、G.W.明けまで「放送自粛」させるべきだと本当に思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿