2020年4月24日

疑問にしない疑問

朝日新聞系のWebメディア「RONZA」で、同じ系列のテレビ朝日の人気番組「羽鳥慎一のモーニングショー」に対しての批判記事が掲載されたとTLで話題になっていたので読んでみたんですが、うーん、これ批判しているようで暗に持ち上げていないか?

まずは一ページ目。在宅勤務のため朝の時間帯にテレビを見る機会が増えたと言い、その中でも一番視聴率が良い自社の番組を取り上げているわけだけれど、まぁ他社の番組を取り上げて持ち上げるわけにも行かないだろうし、批判すればそれはそれで問題が生まれるかもしれないし。で、違和感を感じたのは、この1行。
その要因をたどると、出演者個人の問題ではなく、多くの人々の生命に関わる感染症について専門外のコメンテーターが論じること自体の限界があぶり出されたのだと思い至った。(※強調は私)
 強調した「専門外の米店テーターが論じること自体の限界があぶり出された」の部分は、この後の論説の糸口を提示しているのだけれど、それって直前に書いている「出演者個人の」「知識や経験という能力の」問題ではないのか? ここで、違和感を感じたまま次の二ページ目に入るんですが、ここも論旨の展開に違和感を感じます。

先ず最初の段落で、最近の討論内容を引き合いに出して、逐次投入では無く一気呵成にするべしと言う玉川氏の持論を紹介。しかし次の段落では、その数日前には支援金の支給方法で、足りなければ何度でも支給するべきと、まさに逐次投入の持論を展開していると矛盾を指摘します。少なくとも、この二つの段落では玉川氏の矛盾を指摘しています。三段落目では、玉川氏の口癖を理由に、玉川氏が感染症に詳しくないという推測を提示して、だから専門家(?)である岡田晴恵氏の主張に沿っていると、玉川氏の発現能力の限界というか守備範囲を示したと思ったんですが、次の第四段落では、唐突に玉川氏の発言に対して、内閣官房が反論したことを引き合いに出して「野党精神は素晴らしい」「歯切れの良さは群を抜いている」と持ち上げる。最後は、そう言う玉川氏の暴走(?)気味なところを、MCの羽鳥慎一氏が見事にマネージしていて、それがこの朝の時間帯でトップ視聴率を維持している原動力と礼讃しています。最初の三つの段落で、玉川氏の矛盾性とコメンテーターとしての能力や知識の限界を言っているのだから、第四段落で政府から反論を受けたときには「玉川氏としても不得手な分野では画竜点睛を欠く」とでも言うなら分かるけれど、いきなり反骨精神が素晴らしいとか言うのは飛躍しすぎでは。

そして結論の三ページ目では、最初の段落では専門性に欠けるコメンテーターの影響力に危惧を持つと言い、視聴者はテレビ作法や芸を身につけた「反射神経のコメント」ではなく「確かな助言」を求めていると、前ページとは異なる(でも、真っ当な?)意見に戻ります。で、ニュース番組には専門の知見のある人が出演するが、情報番組では一人が何でも対応しないといけないと問題点を指摘するのだけれど、だから今の「モーニングショー」は良いのか悪いのかという肝心な部分は話さず、結論に入るんですが、多分この段落を伏線に、「今のコメンテーター、キャスターは、政府の政策に対して思い思いの意見を述べるか、代弁するか」と結論づけます。これって、前者は個人の勝手な意見なのに「善人」的に聞こえるし、後者は政府からの必要な情報を広く伝える本来の情報番組の目的のはずなのに「悪人」的に聞こえる。さらに、福島第一原発の件を引き合いに出して、
東日本大震災による東京電力福島第1原発事故のあと、東日本各地の視聴者は被曝の恐怖にさらされ、原発の知識がないコメンテーターの言葉に耳を傾ける気持ちにはなれなかった。そして原発報道のあり方は根底から見直しを迫られた。(※強調は私)
と書いているけれど、 「耳を傾ける気持ちにはなれなかった」ではなく、誤解や自分達の勝手な意見を吹聴していたのがまさに朝日新聞やメディア各社だったわけだし、「根底から見直しを迫られた」のに、未だ責任を認めていないのが朝日新聞じゃないのか。何かメディア全般の問題だったように歪曲化しているけれど、確かに全体の問題も有ったけれど、その問題の原因の一つ、それも最大級の原因の一つが「朝日新聞」であり、数々の報道番組や情報番組が残した罪でしょう。

結論を言えば、専門性も知見もないような分野にまで、理由は色々あるだろうけど著名故に特定のコメンテーター、MCを使い続けて様々な情報発信をする事が根本的な問題点であることは、暗に記事の中でも認めているのに、結局はそういう部分を認識していくのは「これまでとは異なる向き合い方を情報番組のコメンテーターに求めているように思える。」と、視聴者の責任にしている。確かに、情報リテラシーを持つことは必要だけれど、それは提供される情報の正確性に問題があるからで、それならば記事の書き手も「発信する側」の人間なんだから、自分達側の問題解決策を提案するべきでは。わざわざタイトルで「コロナ報道におけるテレビ朝日・玉川徹コメンテーターへの疑問」と、コメンテーターの資質に疑問があるかのように付けながら、さらに記事の途中でそういう部分も指摘しながら、結局はテレビ番組制作には色々理由や限界があるから、最後は視聴者がちゃんと意識高めで試聴しないといけないと責任転嫁して終わりでは、この記事自体が「疑問」じゃないかとしか思えない。やはり、朝日新聞の記者が、同系列のサイトに掲載する記事だなぁと。ある意味、見出し詐欺とも言って良い記事だなと思いますが、それも平常運転だから今更驚かないという事なんですよね。

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