2020年3月9日

監視か自己規律か

監視社会だからこそ可能な徹底的な隔離政策で、武漢から発生した新型コロナウィルスの拡大を防ぐ中国。その行為の中心になっているのが、個人個人のID管理と、監視カメラや移動利用履歴を利用しての管理体制。それに慣れている中国国民にすれば、日本は余りに「緩い、温い、脆弱」と感じるという記事

こう言う話は数年位前から何かの折に触れて聞いてきたので、今ここで聞いてもそんなに驚かないし、もう10年位? 20年位? 一時大学生を中心に民主化運動的なものが盛り上がったとき、時の中国政府がどんどん個人管理を進めてきた様子を見てきたから、こう言う事はあるんだろうなと言う事を想像するのはそんなに難しくない。数年位前に、中国の監視社会を批判することに対して、地元の中国人は、確かに不自由だけれど、それで生活が安定して遅れるのであればトレードオフとして我慢できる、みたいな記事があって、その延長としてこう言う記事のような話になるのは納得出来る。

日本で同じ事が可能なのか。ごく一部の人達は賛成するんだろうけど、日本人の総和としては「個人の尊重」だったり「行動の自由」とか、所謂民主主義的な権利を犠牲にして行動を制限監視しても、という事に賛成することは殆どの人は何じゃ無いだろうか。日本で、マイナンバーを利用した監視方法がまな板に上がりつつあるけれど、そのマイナンバーが個人の権利を制限するとか、国の監視がとか言う理由で、これまで普及や活用が阻まれてきていたわけで、結局はのど元過ぎればで終わりそうな気がする。台湾が、同様の国民IDを利用して、感染者の位置検索が出来たりとか、IT活用をして居て、日本はそれに対してという発言があるんですが、結局は有効な技術もいきなり取りだして利用することは出来ないわけで、結局は中国のように良くも悪くも日々活用しているからこそ可能になるんですよね。

日本の場合は、医療システムとか衰えてきたとはいえ自己規律もそれなりに期待出来るから、「自己責任」という曖昧なシステムが機能しているんだけれど、今後はそう言うことも言ってられないかも。システムとしては通常は不活性にして置くけれど、緊急事態の場合は、例えば特定者の行動はマイナンバーを利用して監視するとか、特定地域からの出入りは監視するとか、そう言う限定的な方法が妥協点だろうか。そのシステムのON/OFFに関しても、公開の場で無いと操作出来ないようにするとか。それでも疑心暗鬼になる人は多いのだろうけど。まぁ、それでも個人的には中国のようにはなりたくないというのが、殆どの日本人の感覚じゃ無いだろうか。この新型コロナウィルスが、それこそ昔のペストとか致死率が極端に高い病気なら、また話は別になるんだろうけど、今の所そこまでの監視社会は不要じゃ無いだろうか。それが日本人としての通常の意識だと思う。

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