夏ダイヤへの切替とともに、羽田へフライトを集約して、成田から撤退するデルタ航空の最終便の記事。私は、現在のデルタ航空は勿論、旧デルタ航空便は、国際線は勿論アメリカ国内線でも搭乗したことは無いけれど、旧ノースウェストには、一度だけ搭乗したことがあります。
バブル崩壊後経費が格段に厳しくなり、会社としては勿論、部門としても出張経費はかなり引き締められていたんですが、そんな中でも開発の中心となるアメリカに行かないわけにも行かず、当時のH.I.S.の格安航空券で先輩社員と一緒に利用したことが一度だけ有りました。当時は、まだANAもJALもアライアンスに入っていなかったので、出張先はどこも国内線乗り継ぎが必要な場所ばかりだったから、荷物の引き継ぎとかハブ空港でのやり取りが面倒。だから、万一の場合でも有利な米系航空会社の利用が推奨されていて、AA派はUA派があったんですが、当時は「命が惜しければ、NWだけは乗るな」と言われていたもの(笑)。その人生初にして唯一のNW便は、運良くエコノミーが空いていたので、窓際3列を先輩とそれぞれ確保して、所謂「エコノミーフラット」で飛ぶことが出来助かりました。
そのバブル以前にも何度か出張しているんですが、当時は景気が良かったからエアチケットはオープンのフルフェアを出して貰えたので、往路は予約が必要でしたが、復路はオープンのまま発券。現地でのスケジュール変更が当たり前で、滞在期間も月単位で延長されるような時代でしたから、本当に帰国が決まると、その数日前にチケットの予約をいれたものです。フルフェアですから、どこの航空会社でもまず席は確保できましたし。その時に、「帰国便位は、最後はANAかJALに」というのが当時のパターン。最終の金曜日に仕事を完了すると、土曜日にIADとかORDとか国際線の乗り継ぎ空港まで移動して一泊。翌日日曜日に国際線で出発して月曜日に帰国、なんていうのが普通に許される、良い時代でした。勿論、若手でもビジネスクラスが普通だったし。当時の出張先が、その頃はAAよりもUA便の方が接続や時間帯が良かったので、それでUAのMPの会員なり、結果的にANAがスタアラに入って「青組」になったわけですが、あの頃AAの接続がよかったから、JAL系紅組になっていたかも。実は、その後その出張先からUAが一度撤退して、AAの方が便利だったから、国際線はUAで国内線はAAなんていうこともありましたが。
一時期、成田の1タミ北ウイングは、NWの専用ターミナルみたいな感じの時もあって、日系以外では成田空港で最大の存在感がありましたが、そのNWがDLと合併して、さらに成田から撤退する(羽田への移管ではあるけれど)時代が来るとは思わなかった。そう言う意味では、AAだってかなり成田便を減らしますし、そう言う意味ではまだ5路線だったかな、成田に残すUAは偉いというか。ただ、DLだけでなく、AAもUAも、今回の新型コロナウィルスの影響で、どうもChapter-11は免れそうも無く、その後の経営も心配だけれど、FFPへの影響も大きそう。案外、それが理由で、もう30年近く続けてきている、UA MPも今年で終わりとなるかもしれない。自分的には、単なるDLの撤退だけに留まらない影響が、生まれるような気がする。
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