2020年3月11日

311

あの震災・大津波、そして原発事故から9年目の「311」。あの日は、金曜日だったので、私はいつものように新幹線通勤で横浜のオフィスに出社していた時。人事異動で、マネージャーが替わるときだったので、その新しいマネージャー(実は、会社では以前同じ部門の後輩社員)と、Face-to-Faceのインタビューを受けていたとき。そのインタビューも、そろそろ終わろうかと言うときに、高層オフィスビルの最上階だったのでかなり揺れてビックリしましたねぇ。その後余震が続き、さらに津波発生の警報が何度も流れて、丁度内のフロアーからは横浜湾が見える場所にあり、津波は大丈夫か心配して居た記憶もあります。

都内の交通機関は止まってしまい、この時は新幹線で帰宅するのでは無く都内での用事のためにホテル予約をして居ましたが、電話も通じないし移動も出来ない。夕方頃から、徒歩で帰宅する以外は会社に留まるように要請が出て、非常食などの備蓄品が放出されて、さらには買い出し部隊が周辺のコンビニなどから食料や、この時は例外的にアルコールの飲酒も「可」となり、私も徹夜を覚悟したんですが、夜も遅くなって東横線が動き出して、これならホテルまでたどり着けると踏んで出発して、無事日付けが変わる頃にはホテルに入る事が出来ました。

一言で「311」と言うけれど、ここには複数の事象が含まれているわけで、まずは「地震」。そして一番被害が大きかった「津波」。そして一番影響が大きい「原発」。さらに言えば、その後の風評被害も、この「311」に含まれても良いのかもしれない。個人的には、「東日本大震災」と言うけれど、被害者や被害地域の大きさを考えると「東日本大津波」と言い換えた方が良いんじゃ無いと思うくらい。それだけ、津波の被害は広範囲で大きかったんですよね。9年目の今でも、まだ復興して居ない地域もあるし。風評被害も含めて、一番影響が大きく広がっている「原発」にしても、福島第一の廃炉作業はまだまだ進行中だけれど、震災直後と比べればかなり環境は改善されたし、福島の農作物への影響も、もう検査不要な状態。物理的な災害復旧は、人手、物量、資金をかければ何とかなるけれど、広く出回った風評被害だけは何ともしようが無いのが忸怩たる想いです。

直接の震災被害は、静岡には殆ど無かったけれど、当時の総理大臣の個人的意向で浜岡の原発は停止したままで、津波対策をずっとしている。遠州灘沿いに多くの市民が暮らしている浜松市にとっても、東北の津波被害は明日は我が身な訳で、堤防工事も多くは完了したけれど、まだまだ十分とは言えない。毎回書いているよう、次は東南海地震、次は東海地震と思って備えるしか無いけれど、いつ来るかどうか分からない天災に対して、日々緊張し続けることも無理なわけで、意識するのでは無く、毎日の生活の習慣みたいなものにしていかないと駄目なんでしょうね。その為に、毎年3月11日を特別な日とするのは意味があるのかもしれない。以前は、それが関東大震災だったのだと思うけれど、その記憶も段々と希釈されていく中で、新しい記憶も大事にしないといけないわけですね。

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