南海ホークスの選手をスタートに、ヤクルト、阪神、東北楽天等で活躍された、野村克也氏が昨日急逝されたというニュースには、久しぶりにビックリしました。私が子供の頃に野村氏を初めて知ったのは、多分南海の選手兼任監督になったときだと思います。当時のプロ野球中継は、ほぼ99%巨人戦で、それ以外のチームの中継は、NHKが時々セリーグやパリーグの中継を入れるくらいで、巨人戦以外の試合をテレビでみる事はほとんど無かった時代。それが、野村氏が兼任監督になるということで、当時新聞やテレビで凄く取り上げて、確かその為に南海ホークスの試合も追加されたように思います。その後現役を引退して、解説者として独自の雰囲気が人気になりましたが、もう一度記憶に戻ってきたのは、やはりヤクルトの監督してしてでしょうね。
当時、セリーグの万年Bクラスのチームだったヤクルトを改革して、結果リーグ優勝の常連チームにし、さらには日本一まで獲得して、ヤクルトを「強豪チーム」にした功績は、素人の私から見ても「名将」と呼ばれるに相応しい存在だったのでは。その後、阪神の監督を務めたけれど、こちらはお家騒動や奥さんの脱税騒動もあり寂しく退団。その後、シダックスの監督を務めていたのが個人的には不思議ですが、多分その時間の使い方が、監督としての能力を衰えさせずに、最後の樂天監督での活躍に繋がったのかなと、今にしては思われますよね。
野村氏の訃報に対して、ヤンキースの田中将大投手が弔意を直ぐに書き込んでいたけれど、個人的には野村-古田、野村-田中、という組合せが一番印象に残る気がします。調べてみたら、楽天での野村-田中コンビは3年しかないんですね。イメージ的には、その後田中投手がシーズン無敗、前年からの30連勝をして、日本シリーズで日本一になったときも野村さんの印象があるんだけれど、それは単なる記憶違い。でも、それだけ印象深かったことは確かですね。コメンテーターとしての印象を強いし、なんと言っても奥様の野村沙知代さんの印象もあって、そちらの印象の方が最近では強いくらい。
その沙知代さんが3年前に亡くなったときに、メディア対応の為に画面に現れた野村氏の憔悴した様子に、あの時はビックリしました。正直、そのまま直ぐに沙知代さんの後を追うのではないかと言うくらいの状況。その後、半年位して再びメディアの前に現れた時には、管理以前の印象に近くなっていたので、多分周りからの支えもあって気持ちも切り替わったんだろうなと陰ながら安心したのですが、年齢の事もあるだろうけど、残念ですよね。ヤクルト時代に言われた「ID野球」は、今のスポーツで広く取り入れられている、科学的分析と応用の先鞭だったと思うけれど、あの当時の野村監督が、今のツールやシステムを使っていたら、もしかしたらもっと面白い野球が生まれていたかもしれない。そう言う意味では、早く生まれすぎた人物なのかもしれませんね。合掌。
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