2019年12月29日

自己弁護

京都アニメーションへの放火事件に関して、被害者の実名報道に関しての京都新聞の記事(その1その2その3その4)。何故か、本家の京都新聞のサイトでは見つからない記事で、Yahooニュースでしか読めないのは何か意図というか理由があるのか? それもあってか、何度読み返してもメディア(京都新聞社)のエゴというか不遜的な印象しか受けず、何かこう怒りみたいなものしか感じられない。特に最後の記事のタイトル『~実名匿名に政治家の「介入」』には、悪意すら感じる。つまり、事件当時、実名報道を要求するメディアに対して、MANGA議連が府警に対して匿名を要請したことが「介入である」と彼らは思っているわけで、それって自分達の意向が無視されたという不満でしかない。

何度も書いてきていることだけれど、メディアの多くは「実名報道」を錦の御旗のように言うけれど、それが全国紙だろうが地方紙だろうが、それなりの力を持っているメディアが実名を報道するということは非常に大きなことな訳で、その必要性に関しては本来は大きな責任があるはず。また、目的によってはその実名報道され事で、広くその人の功績なり歴史が知られて、意味のある場合も勿論あるとは思うけれど、大きな事件で残された家族の状態もまだ不安定なときに、マスコミやメディアが自分達の倫理を振りかざして根掘り葉掘りプライバシーを公開することに、大きな必要性があるとは思えない。大体、実名報道を言うメディアの記事で、ちゃんとその記事の責任者なり記者なりの名前を公開(署名)している物って殆ど観ないわけで、相手に実名を要求するなら、自分もちゃんと先ずは名乗るべきではといつも思うところ。

元々の主要メディア(新聞、テレビ、雑誌など)に対して、今はセカンドオピニオン的にネットからの情報が氾濫しているわけで、その功罪も問題になっている時代。主要メディアが実名報道すると言う事は、彼らだけでなく、そのネット経由の情報に対しても「実名」という裏書きを与えてしまうことにもなるわけで、それによって意図しない被害を、さらに被害者が受ける可能性も大きい。メディアからしたら「うちとは関係無い」と言いたいところだろうけど、それって海洋のプラスチック汚染を、スタバが「うちはお客に販売しているわけで海に捨てているわけじゃ無いから関係無い」と言うのと同じような事。それで皆さんが納得するか、ですよね。

地元の大きな事件ということは理由としてあるとは思うけれど、なんで京都新聞がここまでこの件に拘るのか、その理由が個人的によく分からない。しかも、その内容は下手な週刊誌的な「自分達は正義、自分達は正しい、何故理解しない」みたいな論調で言われても、呼んだがわからすれば「それは単なる自己満足、傲慢な意見」としか感じられない。事件を起こした加害者の背景なり人となりに迫って、その事件の原因を追及するならまだ分かる。それなのに、意図せずに巻き込まれた被害者の背景を見てみても、その事件に関しての原因には繋がらないでしょう。台風とか地震とかで無くなった被災者の背景を掘り起こしても、その自然災害の原因究明に繋がらないのと同じ事。「隗より始めよ」ではないけれど、実名報道が必要と思うのであれば、まずは自分達の署名記事から初めて、この書き手なら、この記者なら信頼できるという理解が世間に生まれることの方が先なのでは。

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