2019年10月9日

不自由にします展

名古屋で開催されている「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由展・その後」展の再開。まぁ、この河村名古屋市長の行動も何だかなぁと感じるけれど、芸術祭の実行委員会会長代行なのに、この再開に関して協議が無かったことに対して批判するのは正当な要求だと思う。

展示されている作品に関しては、まぁ「芸術」なのか「政治的なもの」なのか、実際に見ていないから意見は控えるけれど、その内容に関わらず、自分達が「表現の不自由」を批判して始めたものを、今度は「閲覧の不自由」を行使するというのは本末転倒だと思う。自分達が「表現の不自由、制限を受けた」と思っての反論であるなら、それは自由に誰でも閲覧して自由に批評できるようにするべきでは。その時点で、個々の作品では無く、この展示会自体が終わっていると思うなぁ。

今回は作品に対しての非難が集中したので、安全のためにこう言う措置を執らざるを得なかったという説明なんですが、立場を変えて過去にも同じような事が発生したときには、「それはヘイトだ、差別だ」という理由で不問に付されていたんですよね。自分達がやるときには正しくて、相手がやるときには批判するというのは、それは変だと思うし、そう言うことをやるから益々対立構造が先鋭化していくんだと思う。

「表現の不自由」というけれど、結局は公共性を要求される公立の会場で、過去展示に制限を受けたと言うだけで、別に展示品が強制的に破棄されたとか言う話ではない。法律で定められた、公序良俗に反しない限り、会場を借りるなりすれば自由に展示することは可能なはず。公共の場での展示に拘るのは、それによって自分達の作品への裏付けを得たいのが目的で、本来の作品が主張すべき意図とは無関係に「やったこと」自体が重要なんですよね。今回批判が集まって居るのは、そういう部分も一般の人手すら見透かしているからじゃ無いかと思う。

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