2019年8月21日

欲しいのは自らの利益

「事件の全体像が正確に伝わらない」
もうね、何か怒りしかわいてこない言葉。京都アニメーションの放火殺人事件で、犠牲になった35名のうち身元を非公表にしている25名に対して、速やかな公表を求める申入書を 「京都府内の報道12社でつくる在洛新聞放送編集責任者会議」が京都府警に提出したという記事。その申入書の中で「事件の全体像が正確に伝わらない」という懸念を伝えたというけれど、それって必要か? 問題なのは、被害者では無く加害者の心情なり行動でしょう。それともメディアは、公表されない25名の中に、加害者と何か関係がある人がいて、その関係性が何か事件に繋がるとでも思っているんだろうか。

いゃ、そう言うと「それを確認するためには、被害者の公表が必要」と我田引水的な理由を言うんだろうけど、結局は時間が経過し、あれだけの大事件であったけれど段々と話題性も減ってきているから、新たなる話題が必要だけなんだという事は、誰もが推測できること。いつも思うんですが、加害者は逮捕なりされた瞬間に法で守られてしまうから、メディアはアクセス出来ないけれど、被害者に関しては大体が一般人で幾らでもアクセス出来る。しかも悲劇の主人公になっているから、読者なり視聴に対しての訴求力もある。本人の過去をほじくり返して、意図しないストーリーを仕立てることだってやろうと思えば出来る。結局は、そこに有るのは自分達の記事なりニュースを「売りたい」という事だけなんですよね。なぜなら、メディアは民間企業だし、それはNHKだって「受信料」というお金をもらっている以上、視聴者の理解を得るためにより刺激的で人気の出る情報を提供しなきゃいけないから。

先日のあおり運転の加害者の二人も、一気に過去の話とか友人達の障礙みたいなものが出てきているけれど、正直普通の状態での印象と、こう言う事件の後での印象では身近な人でも違ってくると思うし、そう言うものを常に流し続ける意図が分からない。彼ら二人に同情する余地はほとんど無いと思うけれど、それでも人権は尊重されるべきだし、ちゃんとした司法の場以外で憶測を生むような行為は慎むべき。あの二人が、栃木の常磐道以外でもあおり行為をしていたというのは情報であると思うけれど、子供の頃はこう言う性格でとか言う話は、裁判になって審議されるときに評価されるべきもので、今事件の状況を伝える場面では不要というか余計なバイアスを掛けるだけじゃ無いだろうか。

ああいう行為は、今に始まったことじゃ無いけれど、結局はメディアは自分達の描いたストーリーがあって、それに合わせた情報が欲しいし、それしか観ないというのが、最近のネット社会の発達とともにはっきりしてきたと思うんですよね。で、そのストーリー作成は、どうしても自分達の会社のビジネスを上げなきゃいけないから、より興味を引くように感動的だったり悲劇的だったり、あるいはもっと刺激的なバイアスがかかったりと、どんどん事実から乖離したものが「真実」として伝えられていく。それって、今回の様な事件だけで無く、社会情勢だったり経済だったり政治だったり、全て同じようなフォーマットの元で扱われている。ネットにも書かれているけれど、彼らが個人名を必要と思うなら、全ての記事に責任者名を記名して、堂々と公開させるべき。当然、それで何か問題が発生したら、その責任者と会社の責任として追及されることも含めて。それ位の覚悟があるのか聞いてみたい。

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