ツイッターやフェイスブックなどのSNSの名物の一つがマスメディア批判である。と、マスメディアは正しいのであり、それを批判するSNSは間違っている、と言うのがこの人の結論なんでしょうね。 最初に、昔の過剰なマスコミ取材の例を出しているのに、それ対してのマスコミの改善事例は「ガイドラインを作り」で終わっており、勝手に「相対的に見て取材時のマナーは向上してきていると思われる」と自分で決めつけている。
現在の状況をSNSの普及が理由である事には同意するけれど、そこに日本人が寛容になってきたと言う話を突然持ち出し、その理由として結婚観に貸し手の意識調査を事例に出しているのですが、それとSNSやマスコミに関しての情報アクセスはどう関係しているのか? この調査から「迷惑を掛けない事を望む」人が増えているから、迷惑を掛けている人に不愉快になると持論を進めるんですが、これも唐突感が否めない。で、その記事の中に何となく本音が見え隠れしているのが、
不愉快だからこそ余計に見たくなる、というねじれた心理が存在するからだ。という一分。これこそ今のマスコミの行動の本質であり、それ故厳しい意見も増えている事に気が付かないのだろうか。 で、話はそういう行為が自らへの娯楽=報酬という方向に転換していくんですが、社会学的に大衆全般の傾向としてそういう方向性は有るかもしれないけれど、それを今のネットワークの中に当てはめて行くには、それなりに納得出来る理由が必要だと思うし、元々のテーマがマスメディア批判であるのに、それを段々と批判者側=一般大衆の嗜好に結びつけようという雰囲気。
結論として「不寛容な寛容社会」というのが、この筆者の結論というか好きな言葉らしいけれど、これまでは自分の心の中頭の中から出る事の無かった「意見」が、SNSでその場で公開されて世界中に広まる世界になったと言う事だけ。つまり、人の心が変わったわけじゃ無くて、表現方法が変わった、よりリアルタイムに広範囲に発言が拡散する社会と言うものに変容しつつあるという事だけ。当然、新しい仕組みが生まれてくれば、それに対してのマナーも生まれなくちゃいけない。そういう意味では、今のSNSは「待つ」「無視する」「整理する」みたいな基本的なリテラシーの無い人が殆どという事も有るけれど、それとマスコミの態度の善し悪しは別の話。最後には、そのSNSだっても途をたどればマスメディアをソースにして好きな事を言っているだけと言い、マスメディアは必要不可欠、リスクとをって紛争地区にも行くと正当化している。自分達の責任の大きさを認識せずに、逸脱しているような行為や報道が多いから、今の人は批判をするのだし、リスクを取ると言いながらも、リスク計算しているように見えず単に自己満足的な行為に移るから批判されている。
最後には迷惑と言われないように、行儀良く振る舞うのか、批判覚悟で無視するのかという二択をマスコミやネットユーザーに問いかけて終わっているけれど、情報発信何だから、その内容に関しては責任を持つべきだし、それを商売としているマスコミだからこそ、より厳しく批判されるだけの話。それを、相手に迎合するべきか、無視するべきかなんていう勘違いな結論を出している時点で、この筆者のネット感というかマスコミ感がよく分かる気がする。SNSがマスコミをソースにしている事を怪しからんと思うなら、自分が取材して発見した情報以外はマスコミは使うべきでは無いし、少なくとも他者の記事なり情報を参照することは、自分で自分の首を絞める最も恥ずかしい行為だという認識を持つべきだと思う。
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