2019年6月5日

天安門事件30年

今年は天安門事件から30年ということで、数日前からメディアでも当時の映像が流されたりしています。ここ最近数年は取り上げられる事も少なくて、世間はもう忘れて中国の行為を不問に付すのかと、個人的には少し心配していたんですが、30年と言う事だからなのか、最近の米中の貿易戦争を見て、中国への配慮遠慮をメディアが緩め始めたのか。

30年前と言うと、社会人になりたての頃で、仕事が忙しくて、それ以外にもプライベートも何もかもドタバタして居た頃。そんな人間にも、やはり天安門事件の色々な映像は衝撃的だったわけで、あの戦車の前に立つ男性の映像って、多分一生忘れられないだろうなぁ。当時は、中国の対策に批判が世界から集中して、結局日本が取りなすというか配慮したのを切っ掛けに、段々とあの行為も記憶から消えつつあるわけだけれど、そういう意味では日本の責任も大きいよなぁ。

改革開放政策が、大学生達にああいう行動を起こさせ、逆にそれによって中国政府が体制の変革に危機感を覚えて、さらに厳しい引き締め政策に転換したのは皮肉と言えば皮肉。あれから中国は世界第二位の経済大国になり、米国と覇権を争うまでになったけれど、半面国内は監視社会になり人民の格付けが行われていて、SFの中の世界みたいなものが現実になってきている。でも、自由を求めて食えないよりは、多少の自由が拘束されても食べられる方が良いという選択を中国国民はしているわけで、それはそれで彼らの選択。と、言って良いのかどうかは疑問が残るけれど...

一部の人は、よく日本の蛮行とか責任という事を言うけれど、実はどこの国も多かれ少なかれそういう混乱の時代を経験しているもの。中国にしても、理系の私でも習った春秋戦国時代とか、実は他民族の闘争の歴史の上に成り立っている国家だし、戦後の混乱で今の状態になっているけれど、歴史的な事を考えたら、今の台湾が「中国」と言えるのかもしれない。その混乱時代だって、今では想像も出来ない歴史があるわけで、それを今から批判しても歴史は戻らないけれど、そう言うことを認めて反省した上で現在がある事は、中国もちゃんと世界に示さないといけないでしょうね。そういう意味で、今回の天安門事件30年という事も、あの国では無かった事になっているらしいけれど、だからこそ一人一人は忘れちゃいけない記憶だと思う。

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