2019年5月6日

映える

昨晩たまたま見ていたテレビで、40~50代で今インスタが流行っていて、色々な対象を撮影してインスタにアップしているというような話題を取り上げていました。まあ、私もインスタのアカウントを持っているし、カメラで(凄く特定分野だけれど-笑)よく撮影するし、その気持ちはよく分かる。で、同じく昨晩から今朝当たりTLを流れていたのが、一本桜を撮影するために、作付け中の他人の畑の中に勝手に入って撮影したり、ロープを張って立ち入り禁止している高台に勝手に入って撮影している様子を怒って、その様子を拡散しているtweet。後者に関しては、少し前には鉄道写真のファン、所謂「撮り鉄」の傍若無人な撮影態度に批判が高まっていたけれど、それと同じような行動でありルールを守らないメンタリティの低さだなという感想。

テレビ局が撮影者にインタビューをしていると、ルール違反は分かっているけれど綺麗な写真を撮影したいからと言う、例によって自己中心的な言い訳とも突かない良いわけを言うだけで反省は無いし、ましてや何でそんなこと聞くの、俺一人だけじゃ無いだろ的なイライラ感も伝わってくる。これ、何処かで似たような雰囲気を見たなぁと思い返してみたら、釣り好きの人が進入禁止されている防波堤とか場所に潜り込んで釣りをするのと同じだよなぁと納得してしまった。以前北海道で、原野にぽつんと一つだけ立っている木の光景が有名になり、全国からアマチュア写真家が集まり、今回同様傍若無人な行動に業を煮やした地主さんが、その気を切り倒してしまったという話が有ったと思いますが、本来そんなことをする必要がない人が行動しないと行けないというのは、集団的なエゴだよなぁ...

自分の子供頃は、まだ自宅の周りは畑や田圃ばかりで、幼稚園とか小学校から帰宅してからの遊び場は、そういう畑や田圃の周りでした。で、時々田圃や畑の中に入って畔や畝を壊したりして酷く叱られたりして自然とやって良い事といけないことを教え込まれたけれど、今はそんな時代でも環境でも無いですからねぇ。下手をすると、家庭菜園くらいなら分かって、畑なんて言うのも知らなくて、単に草が生えていない広い場所位の認識なのかもしれない。ただ、だからと言ってそういう行為行動が許されるわけでは無いので、今回の様に相手がインスタを使うのであれば、こちらもインスタを使って「これは不正な撮影です」みたいなキャンペーンでも展開して啓蒙していくしか無いんでしょうね。

まだインスタとか写メとか無い時代だったら、写真を撮影する代わりに「愛でる」事をしていたと思うんですが、ある意味撮影するのはその代償行動なのかなと。ただ、愛でた場合はその物自体だけで無くその前後や周りの様子も記憶に残るだろうし、残らなければそれまでその程度のものというスクリーニングが働くのに対して、撮影して写真に残してしまうと、そんなこと関係無く単にデータとして残るだけ。その料理の善し悪しよりも何月何日どこそこでこれを撮影したというデータだけがどんどん蓄積していくわけで、それが美味しかったのかどうなのかという一番重要な部分が含まれないデータだけを蓄積してどう言う意味があるんだろうか。しかも、そういう映えるかもしれないけれど上っ面だけのデータを取るためにわざわざルール違反までする理由が、たんに「いいね」を一つでも多く獲得して優越感に浸りたいだけというさみしい理由であることが「映えない」なぁ。

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