毎日新聞が16日に報じた、天皇陛下が初めて内奏を受けたときの記事、そこには以前の天皇陛下つまり今の上皇陛下が、同じく内奏の時に立って総理を見送りしなかったという内容が書かれているらしいのだけれど、速攻で宮内庁にも官邸にも否定されたらしい。
これ、毎日新聞は自社の記事を完全否定されているわけだから、ちゃんと反論しないといけないんだけれど、今の所そう言う様子は無い。となれば、この記事が「虚報・偽証・創作」だったという事を自ら認めたことになるんだけれど良いのだろうか。多分今後の展開としては、その発言では無く、「内奏直後にその内容を伝えるのは政治利用」という点にシフトするんだろうけど、それが政治利用で有ろうと無かろうと、実際にそう言う発言が有ったのか無かったのかは別の問題。メディアとしての存在意義が問われる話何だけれど、何故か静かですよねぇ。
想像するに、「立って見送って頂き恐縮」程度の話は、安倍総理から出たのかもしれない。ただ、「上皇が...」の部分には多分に記者の想像が入っているとしたら、それは「メディア」ではなく「物語作家」の話になってしまうわけで、毎日新聞の責任は重いと思うなぁ。まぁ、こう言う場合「取材者は今後のことを考えて秘匿する」と曖昧にして、「毎日新聞としては、取材内容に間違いがあったとは考えず、取材に元ずく事実をお伝えしています」とか言って、暗に発言の正誤にしても、自分の責任にしても、有耶無耶に使用とするんでしょうね。
毎日新聞は、記事が正確であったことを証明する客観的な情報なり資料を出すか、記事を取り下げて自分達の非を認めるかの二択しか無いと思うんだけれど、このままだんまりなんだろうか。「沈黙は金」という諺があるけれど、今の時代「沈黙は最悪」というか、自らの罪を認めたことになるだけ。何か、現場が暴走して、裏付けも確かで無い情報から記事を書いたように思うなぁ。いずれにしても、これメディアとしての「存在意義( raison d’être)」が問われる案件だと思うんですけどね。毎日新聞の責任も重いけれど、それを産経新聞以外が正さないのも同じくらい重い話だと思う。
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