2019年5月13日

意図的切り貼り

藤原かずえ氏の記事から、都合の良いように切り取りするメディアの報道に関して。記事後半に、各番組での遺族からの手紙の加工具合が示されているけれど、見事に「報道自粛」と「遺族関係者への配慮」という部分を切り取って、遺族の悲しみなり無念さなりという部分を強調しようとしている様子がよく分かりますよね。今回の事故とは関係無い自分であっても、非常に不愉快に感じる位だから、当事者は勿論、そこに近い関係の人などの憤りはどれほどか、と。

勿論、意図せずに巻き込まれてしまった遺族に関して何も言うなとは言わないけれど、少なくとも「深い悲しみに包まれている」と言うくらいで必要十分なのでは。あえて、そこを掘り下げる必要はないと思うし、そこから受け取ることが出来るのは悲しみ以外に無いわけで、伝えて何か新しい事実が出てくるとは思えない。言い方は悪いけれど、視聴者の興味を引くためだけにあえて強調したい、掘り下げて話題にしたい、という意図しか感じられない。勿論、メディアとしては時間の制限、画面の制限から、丸々遺族の手紙を伝えることは出来ないという言い訳は有るかもしれない。でも、非常に短い一方の家族の手紙すら切り貼りしているし、そんなに時間が掛かるとも思えない分量の手紙の内容をわざわざ編集することの意図は何だろうかと、そちらの方が気になります。

今回残酷だなと思うのは、不幸にして交通事故に巻き込まれて亡くなったのが2歳位の幼児であること、その直接の原因となった自動車の追突は、直進してきたところにぶつけられて巻き込まれてしまったわけで、この女性が運転していることが直接の原因でもない。結局、玉突き状態になり実際の交通事故を起こしてしまった女性の心中も、かなり厳しいものがあるように思いますね。事故の原因となった右折をしようとした女性ドライバーに全ての責任をおっかぶせるつもりは無いけれど、それでも一番最初に事故の原因を作った人が、この三者の中で一番なんともなかったとも見えるのは、こう言う事故事件の皮肉なんだろうか。

一つはっきりしているのは、ちゃんと交通ルールを守れば今回の事件は起きなかったわけで、その為にどうしたらルール遵守できるのか、そういう部分をもっとメディアちゃんと遡及しないと、メディアの存在意義なるものが益々希薄化していく気がします。今回の事故に限らず、メディアの報道は問題点の追求という本来の目的から、以下に読者・視聴者の注目を得られるのかと言う視点に変わってしまっています。言葉として適切かどうか分からないけれど、「インスタ映え」に似た印象を感じますねぇ。「いいね」欲しさに、どんどん内容が先鋭化していくのも同じ。さらに、類は友を呼ぶでは無いけれど、メディアによって支持している集団の傾向も収斂されていくように感じるし。結局、メディアはSNSを軽視する態度を取るけれど、自分達がどんどん寄せていることに気が付かないんでしょうね。

0 件のコメント:

コメントを投稿