2019年4月12日

意図的変質

以下略ちゃんのまとめ記事から、報道ステーションが東日本大震災関連の失言で、民主党政権時代の話も安倍政権のように伝えた番組に関して。実際の番組を見たわけでは無いので、あくまでこの記事の内容からだけで判断するわけですが、それにしても酷いし、あの番組なら然もありなんと納得してしまう。しかも、番組最後に取って付けたような「訂正とお詫び」があったみたいですが、それって単なるアリバイ作りなわけで、元々の意図を隠すために最初から意図していたものじゃないのか。

メディア、あるいは情報産業においては、配信した番組なり情報は彼らの「商品」なわけで、そこに間違いがあったとしたら、それ相応の対応が必要だろうし、場合によっては致命的なものにもなるはず。所が、メディアの場合は、最初に報じたサイズ・内容・量よりも少ない範囲でしか謝罪も訂正もしないんですよね。例えば、新聞一面に掲載した記事が間違っていたなら、同じく一面に同等以上の免責を使って訂正するべきだし、場合によっては一週間くらいは続けるべき。でも、大概訂正記事って、後ろの方の分からないような場所にしか掲載しない。今回の番組訂正にしても、既に放送してしまったところは修正しようが無いわけで、後から「〇〇は××の間違いでした」と言うだけだけれど、これだってそのまま流れていってお終い。それこそ、放送局のサイトで「今週の訂正・謝罪内容」みたいなコーナーをもうけて、一定期間掲載する義務を負わせるべきだと思うのだけれど。

で、今回の場合は、これって誤解とか間違い以前の話でしょ。報道に関わるものが、2011年がどう言う都市であったのか知らないはずはないだろうし、それを恰も現政権のミスのように伝えるのは、それは誘導でしょう。少なくとも、説明する時点で補足するなり、場合によってはその場で直ぐに訂正なり補足しなくちゃ「フェイクニース」と言われても仕方ない行為。以下略ちゃんも書いているように、ずっとその番組を見ていれば、最後に訂正が入ったとわかり、最初の情報も修正されるかもしれないけれど、途中でチャンネルを変えてしまえば、その人が取得した情報は最初の意図的なものだけ。ある意味、巧妙な情報操作ですよね。

メディアが、政権なり社会なりを監視する役割を持っていることに関しては、多少は同意するところもあるけれど、それはメディアが公平でバイアスのかかっていない情報伝達をするという大前提があるうち。今のように、自社の思想なり方向性を極端に情報に適用して、場合によっては捏造に近いような情報発信をする「組織」を「メディア」と読んで良いのだろうか。それって「宣伝」あるいは「洗脳」に近い気がする。それがあながち冗談と言えないのは、そう言う本家の報道姿勢だけで無く、その会社でそれなりに地位や名声があると思われる人間が、個人的に発信しているSNS等の情報内容も酷いものが多いわけで、そう言う人間がいるから歪むのか、歪んだ組織だからそう言う人間が存在しているのか、結局両方じゃ無いかと最近は思うようになってきました。SNSのように、良くも悪くも生の情報が流通する時代だから、メディアがそう言うように変質していったんでしょうかねぇ。つくづく、メディア以外の情報経路が存在している事の有難味を感じます。

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