2019年2月8日

笑われるジャーナリズム

高山貴男氏のブログから、「「悲劇」ではなく「喜劇」~ジャーナリズムの末路~」という記事。官房長官の定例会見での、ある意味「名物」になっている東京新聞の望月衣塑子記者を想定したと思われる、首相官邸から官邸記者クラブに出された「事実を踏まえた質問」要請に対して、何故かその記者クラブではなく新聞労連が「抗議」している。その新聞労連の抗議文書を出した南彰氏という朝日新聞記者で、その望月記者とも懇意にしていると言う事を考えると、何だかなぁという気分。

今は、官房長官の会見の様子も公開されていて、全部映像で見ることが出来るからそれを観て個々に判断すればいい話ではあるけれど、見れば見るほど私には彼女の質問というか会見の様子は「トンチンカン」に見えてきます。以前も書いたけれど、その質問というか問いかけの根拠が自分の取材結果と言うよりは、他者の記事であったり週刊誌の記事であったりすることが多く、言い方は悪いけれど井戸端会議の内容を効いているような感じ。また、質問の意図とは別に関係無い前振りというか冗長な話を続けて、毎回とりとめも無い。さらには、事実の裏付けも無い質問をしたり、誤解した質問をしたり、およそ「ジャーナリズム」と言って恥ずかしくないのかという様子を毎回見せてくれます。

彼女は「新聞記者」という本を少し前に出版して、今度はそれが映画になるらしいのだけれど、それもあってなのか、記者と言うよりもあちこち講演やシンポジウムに出かけてパネラーとして仕事をして居る方が多いように感じるんですよね。で、官房長官の会見は自らを売り込む時間のような。。これを「彼女のビジネスモデル」と書いてあるTLがあって、なるほどなぁと感心したんですが、公の場を使って自らを目立たさせて、それを利用して別のビジネスを進めて、それを理由にまた会見で目立ち、というエコシステムが出来上がっている(笑)。

最近では、総理の発言の中で「森羅万象」という言葉を使ったことを捉えて、「総理は自分が神にでもなったつもりか」と突き上げているようですが、今の時代早速過去の履歴が検索されて、攻めている側も「森羅万象」を多用していることは直ぐに明らかにされるし、別に全知全能の神と言う意味ではなく「あまねく網羅して」くらいの比喩と言う事は、普通に考えれば分かること。言葉を生業としている、事象「ジャーナリスト」も含めて、そう言う言葉の揚げ足取りを自分の使命と思っているから始末に負えない。昔と違って、生の情報や一次情報が誰でもアクセス出来るような時代に合って、ジャーナリストの使命というのはその膨大な情報を整理凝縮して、以下に効率よく「事実」を伝えるかのはず。そこに、個人的に信条や考えがバイアスとして付加されることは、ある程度仕方ないとしても、最初から自分の考えに合うように情報を加工するのは、もう欺瞞とか虚偽行為ですよね。それを「ジャーナリスト」と言っている人達が行っている。「喜劇」と笑えるうちは良いけれど、そのうちにそれは私達にとっての「悲劇」になるような気がするなぁ。その為にも、先ずは自分の情報リテラシーをしっかり隔離して、先ずは疑問を持つ、そしてそれを自分が解くという姿勢を忘れないようにしないとね。

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