2019年2月27日

無能な働き者

菅官房長官と東京新聞望月衣塑子記者とのバトルは、色々官房長官側が堪忍袋の緒が切れた感じ。読売新聞では見つからなかったけれど、比較的事実を伝えていると感じる産経新聞に対して、毎日新聞朝日新聞は否定的。

毎日新聞も朝日新聞も「あなたに答える必要はありません」という所だけをフレームアップして記事にしているように感じますが、産経新聞を読むとその前に菅官房長官は「会見は質問を受ける場であり、意見を申し入れる場では無い」と言っているのに対して、しつこく望月記者が「会見は国民の知る権利に答えるためにある。この会見は一体、何のための場なのか」と発言したことに対して、「あなたに答える必要は無い」と言った部分。この言葉だけ見たら何か質問しているように聞こえるけれど、本来の政府に対しての質問と、その運用に対しての「疑問」は別物でしょう。それに、この会見自体は記者クラブが開催しているもの。運用に疑問があるなら、先ずは責任者(幹事社)に言うべき話だと思うけれど。まぁ、そう言う意味では菅官房長官も、「記者クラブに聞いて下さい」といなしても良かったと思うけれど「あなたに答える必要は有りません」と言ってしまうくらい、腹に据えかねていたんでしょうね。

彼女のこれまでの発言を見ていると、どう好意的に解釈しても自分の発言無いし自分自身を目立たせようとして発言しているようにしか見えない。しかも、仮にそう言う手法が彼女として正しい、自分として成立していると思うのであれば、意図した回答が官邸から得られなかったという事は、結局は彼女の質問なり発言が悪かったと言う事になると思うのだけれど、それを武勇伝として自分の講演会とかで使う材料にしている。私は、悪の集団と戦うか弱い女性記者だけど、一所懸命頑張っているというような「雰囲気」を作っているのだろうか。

彼女を含めたメディア、あるいはジャーナリストが自分達の代表だとは露ほども思わないけれど、彼らの仕事を通して何らかの情報を得ていることは否定しません。それが彼らの仕事だし。で、結果的に、その仕事のアウトプットとして提示されているものが、官邸は何も言わない、自分を排除している、という「ゼロ査定」であっては、自分達のやり方が悪いのか能力が無いのか、その両方という話になるんじゃ無いのか。たまに仕事でも遭遇するけれど、自分は一所懸命仕事しているのに評価されないとか愚痴をこぼす「無能な働き者」にしか見えない。一番迷惑な存在なんですよね。で、それを「是」とする毎日新聞や朝日新聞っていうのも、何故が納得してしまう構図ですよね。

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