ダムカレーが、ダム決壊を想像させるので怪しからんと、ダム関係の土木を担当している人が声を上げた話。まぁ、言うまでも無いけれど、「ダムカレー」と言いながらも、それは「カレーライス」の話だし、だれも本当にダムを壊すつもりは無い事は明らか。あえて言うのであれば、「自分はダム建設に従事しているので、正直余り良い気持ちは無い」くらいなら、まぁそういう人もいるだろうと思うけれど。それを言うなら、例えば人や動物の顔や本体を模したお弁当とかを食べることも、「人・動物を虐待するのか」と言う事になってしまう。
で、問題なのは、そう言う発言をした人も一寸フライングだったと思うけれど、それがSNSで一気に拡散すると、その事に対して一気に反対にしてろ賛成にしろ書込が集中する事。今回も、「怪しからん」と書き込んでしまった人もある意味「正義感」なんだろうけど、それに対して「カレーを食うな」と今度は自分の正義感を振りかざす方も振りかざす方。お箍に「自分の正義」を振りかざして相手を正そうとすることが一番の問題何ですよね。そう言えば、NHKの今の朝ドラで喫煙シーンが多いクレームが出ているらしい。私はタバコは吸わないし、今の時代もっと禁煙の場所を増やして欲しいと思うけれど、それと昔の話は違うだろうと。昔合ったことを無かったことにしたら、全てが丸く収まるというのであれば、戦争や争いは無かったと言えば、全ての人が幸せなのか、と。
「ダムカレー」が駄目なら、とんかつ屋とかヤキリト屋に有る、美味しそうにトンカツを食べる豚キャラクターとか焼き鳥を食べる鳥キャラクターだって問題に成るだろうし、さらに言えば「活け作り」なんて言うのは、リアルな虐待なわけですよ、日本人以外の外国人には特に。だから、以前海外からの出張者をアテンドする時には、お刺身は出しても活け作りは出さないようにしたし、まぁそう言う波風立てない立てさせないことが重要で、元々の土木関係者の人も「私は好きでは無いけれど、本当のダムはそう簡単には壊れませんからご安心ください」くらいのことを言えば、もっと違った反応が出てきたかも。
結局いつも感じるのは、「呟き」とか「独り言」というのは、自分の半径1m位の範囲にしか昔は届かなかったから、言う方も発散できるし、聞かされる人はほとんど無いから拡散することは無かった。それが今では、半径1mどころか、地球の裏側まで届くわけで、その破壊力は底知れなくなっている時代に、でも呟く方は自分の鬱憤晴らしガス抜き的な間隔で実行するから、ある意味罪は無いけれど質が悪い。それを強制的に止めさせるのは言論の自由の問題も有るから簡単にはいかないけれど、個人や組織、そしてメディア等も踏めて、「無視する余裕」をもっと持つことが、こう言う「余計な正義」が反乱する事を防ぐ1つの方法になるんじゃ無いだろうか。ただ、ある意見に対してはそう言うことが出来ても、自分が興味を持っていること、関わっていることになると、モードが変わってしまうのが「人間」でもあるんですよねえ...
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