2019年2月20日

メディア崩壊

福島在住のフリーランスライター、林智裕氏による「福島の11歳少女、100ミリシーベルト被曝」報道に関してのレポート。まぁ、「特ダネ」、あるいは意図的な方向性に解釈した記事を掲載して、それがいつの間にか一人歩きして「事実」として扱われる、最近のレガシーメディアにある問題点の1つだけれど、一旦広まった誤解を解くことはその何十倍何百倍もの労力を掛けても出来ない事があるわけで、困った現象の1つ。これだけネットが広がり、その拡散力故に誤報・虚報が拡散するスピードは想像以上なのに、何故かそれを正す、あるいは正確な情報はそんなスピードでは拡散しない。そこには、無意識に一人一人が欲している「何か知らない事実」とか「事件性」とか、そんな期待に沿ったものが、どんどん広がっていくんですよね。

この東京新聞だけで無く、朝日新聞にしても、その他大手新聞や雑誌にしても、なかなか間違いを認めないし、仮に認めて訂正するにしても、申し訳以下の対応しかしない。だから、訂正されたことが広まらず、訂正後もその後情報だけがどんどん広がっていく。印刷物なら、最悪市場から回収することも可能ですが、デジタル情報はそんなことは出来ない。そう言う状態を正すために、フェイクニュースを監視するグループも生まれているけれど、結局それも身内の人間が作る検証機関だから、本当に機能するのかも疑問だし、実際これまでの実績を見ると単に言い訳の理由作りのために組織されたとしか思えない。だから、今回の様にそう言う組織に属さない人が地道な努力を積み重ねないと、本当の内容が公開されないのは、ネット時代の功罪何でしょうね。

「100ミリシーベルト」という値は、正確に測定する装置が無い中空くまで参考値として測定した結果から、最悪の状況を想定した値で、だからこそ公表されるような値では無いと、データ元の放医研も言っていて、それは朝日新聞も報じているのに何故か東京新聞はセンセーショナルな記事として扱っている。これは、その記事の記者あるいは編集者の能力に問題があるのか、何か別の意図があるのか、どちらにしてもメディアとしての信頼性は勿論、この記事「だけ」がそうなのか大きな疑問が生まれています。まぁ、結論は分かっているんだけれど(笑)。

福島第一原発の事故は、東日本大震災の自然災害が起因しているとは言え、また別の大きな災害であることは確か。そう言う意味で、その原因や理由を解明するとともに、対策に関しても考えてそれを同様の施設や設備に展開して次の災害に備えることが一番重要なはず。しかし、今の状況はそう言うことすら許されず、その理由としてレポートの最後に書かれているような「二次被害」が余りに強調されて、ある意味昔の「呪い」とか「祟り」みたいな扱いになっていることが最大の問題では無いだろうか。そして、その元凶を作っているのが、一部のメディアだったり、それを利用している一部の人達、だと。人間は感情的な生き物だから、どうしてもぶれがあるけれど、その中でも科学的に定量的に観測されることに関しては、過去からの積み重ねもあり信頼度はかなり高い。「かなり」では無く「絶対的」な数値を人は求めるけれど、科学の「かなり」は、人が普通に生活していても遭遇するトラブルや不幸に比べたら「ほとんど無い」くらいの規準といってもいいのだけれど、信用しない人達にとっては意味の無い値になってしまう。本来、そういう部分を解きほぐして事実を伝えるべきメディアが、一部とは言えそう言う自らの仕事・義務を放棄していることが、やはり最大の問題、犯罪とも言うべき事じゃ無いかと再認識するレポートですよね。

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